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日経新聞2月18日付朝刊に「寺山修司特集」が組まれました。

秋亜綺羅の近況
02 /25 2024
 おはようございます。
 日本経済新聞2月18日(日)付朝刊に、寺山修司が特集されています。辰年だからということでもないのでしょうが、タツノオトシゴならぬ、寺山修司の「落とし子」たちを紹介している内容です。わたしのところにも、日経新聞の石鍋仁美記者が熱心に取材に通ってくれました。12月8日のココア共和国主催「言と音が加速する午後」にも客席で観てくれました。その後も、事務所に来てくれたり電話だったり。新聞にたった何行かの記事を書くために、取材した事実を引用するだけでなく、自分のものとして消化させてから書くわけです。プロの仕事は見ていて気持ちいいものです。
 発行されてしばらく経ちますし、部分的に写真で紹介しちゃいますよ。

240218日経新聞01

240218日経新聞02
 わたしは今「寺山修司論まで時速四キロ」というタイトルで、寺山論を進めているところですが、すこしスピードを速めなければと自覚したところです。若くもないし。
 とりあえず、しばらくぶりのブログ更新でした。

2023年12月3日(日)「言と音が加速する午後」のご案内!!

おしらせ
11 /27 2023
言と音が加速する午後_オモテ

言と音が加速する午後_ウラ
 2023年12月3日(日)午後1時半より、ココア共和国主催のカクテルポエム「言と音が加速する午後」が開演します。仙台市の市民活動シアターにて。
 ヴァイオリンの甲斐史子、ドラムスの井上英司、舞踏の伊藤文恵をお招きしています。詩は、佐々木貴子と秋亜綺羅。スリリングな瞬間が何度も訪れることと思います。みなさん、どうぞおでかけください。
 ココア共和国へのパスポートは、こちらです。心よりお待ちしています。

 また、ココア共和国では詩の募集をしています。それをメインディッシュにして、月刊ココア共和国を出版しています。
 年に1度の秋吉久美子賞、いがらしみきお賞、YS賞の授与も行っています。詳しくは、https://www.youyour.me/ をご覧ください。




10月28日(土)に秋田に行きます。

おしらせ
10 /07 2023
231028秋田の詩祭
 おはようございます。10月28日(土)午後になりますが、秋田市大町の協働大町ビルで講演をします。主催は、秋田県現代詩人協会。朗読も15分くらいさせていただこうと思っています。
 講演のタイトルは「詩ってなんだろう」。なんでしょうね。講演っていうとなんだか一人芝居のイメージがありますが、講演途中でも異論や意見や質問があれば、それに応えながら進行するというのが面白いかな、などと考えています。
 わたしが若いころから尊敬している前田勉や歴程同人の寺田和子に会えるのが楽しみです。また、ココア共和国を通じて知り合った詩人たちにも来ていただけるようです。20歳未満の詩人も来ていただけるようなので、なんだか緊張もします。ココア共和国や現代詩手帖で紹介した、高橋凛ら数名の詩人たちもいらっしゃると風の便りで聞いています。こちらからは、佐々木貴子が編集の合間を抜けて一緒に行きますので、ぜひ声をかけてください。
 入場は無料だそうなので、時間の許す方はぜひどうぞ。心よりお待ちしています。
 秋田さきがけ新聞にも、詩祭にさきがけて文章を書かせてもらう予定です。たぶん17日くらいの掲載かと思います。(秋亜綺羅)


月刊「詩人会議」2023年8月号に詩を書いています。

秋亜綺羅の近況
09 /16 2023
詩人会議2023年8月号

  月刊「詩人会議」2023年8月号に詩を載せてもらっています。特集「戦争をしない、させない国へ」ということで1篇。秋亜綺羅の詩のタイトルは「戦争は書かない」。確かに戦争は各国の権力のトップの言葉(命令)で始められます。反戦詩100万篇を権力者に送れば、戦争は止められるでしょうか。「あなた方100万人が、詩なんて役に立たないものはやめて、国家のために尽くせば、戦争なんてしなくて済むんだよ」と権力者が答えそうですね。こういう奴には100万個の爆弾を送ったほうが、反戦詩よりマシなのかもしれません。せめて1個の爆弾より衝撃がある詩を書くことが詩人の仕事なのではないかと思っています。
 特集には、河津聖恵、齋藤貢、青木由弥子も書いていますよ。

河北新報7月6日付朝刊に「寺山修司没後40年」企画で記事が載っています。

秋亜綺羅の近況
09 /13 2023
230706河北新報

 「寺山修司没後40年」ということで、河北新報の沼倉淳記者に取材されていました。沼倉記者はほんとうに熱心に何度も足を運んでくれて、寺山のこともとても勉強しているようでした。八戸の寺山修司記念館や、盛岡の「劇団赤い風」にも取材に出かけたようです。「赤い風」のおきあんごは、寺山の「演劇実験室天井棧敷」の団員でした。
 7月6日付の「河北新報」朝刊に掲載になりました。もうだいぶ以前のことですので、このまま載せちゃっていいですよ、ね? わたしは寺山の演劇には直接関わることはありませんでしたが、一緒に詩の朗読会をしたり、競馬の話などしました。詩についても、言語論についても、寺山にはずいぶん教わることばかりでした。寺山の「観客論」についてはわたしにも異論があり、ちょっと嚙みついたりもしました。
 今度、10月28日(土)に秋田市でわたしの講演がありますので、寺山修司のこともすこしく語りたいなと思っています。





PO 2023夏 No.189 にエッセイを書いています。

秋亜綺羅の近況
06 /03 2023
PO夏号No.189


 おはようございます。
 尾崎まこと編集、左子真由美発行の季刊総合詩誌「PO」No.189 に「1頁で語る私の好きな芸術家」特集として、秋亜綺羅がエッセイを1ページ載せてもらっています。「演出家としての寺山修司」というのが、わたしのタイトルです。寺山には「芸術」と「芸能」の定義がしっかりありました。自己模倣にならないことを心掛けていたようです。やたらに「自分らしさ」を強調する人が多い現在ですが、さっきまでの自分を壊す覚悟が寺山にはありました。演劇実験室天井棧敷の演劇は、寺山でなければ再現できない、寺山の芸術だと思っています。
 ココア共和国でおなじみの青木由美弥子も書いています。岩佐なをの詩も読めますよ。
 特集を中心に編集が充実している詩誌です。
 発行所は竹林館(大阪市北区東天満2-9-4 千代田ビル東館7F tel.06.4801.6111)で、880円。

「イリプス」Ⅲrd 03号の野沢啓さんの文について──秋亜綺羅

公開質問+
04 /24 2023
 わたしの大好きな「イリプス」のページを汚すなと書いたのに、わからない人ですね。「イリプス」の前号では、野沢さんの著となる書籍について、アマゾンの「レビュー」に書かれた読者の感想を2ページにもわたり叩きのめしています。ほんとに物書きなんですかね、野沢さんていう人は。ゼッタイにやってはいけないことだと思いますがね。

 今回のブログによる「公開質問」に対する、野沢さんの回答(?)の最後に「この文章は、秋亜綺羅がちゃんと扱う保証はないので、みずからのブログにも掲載する」と書いています。なにを言いたいんだろう、この人? そんな卑怯な奴なんているわけないだろう、と思ったわけだけれどね……。なるほど。今回の野沢さんの文章には、わたしの16の「質問」の内容はいっさい紹介されていません。そんな卑怯な奴って、いたんですね。自分がそうだからって、他人を一緒にしないでほしい。


「イリプス」Ⅲrd 03号の野沢啓さんの文は「公開質問という虚妄」「反論にもならない権力亡者の馬脚」といったインサートタイトルがあって、見出しだけで読ませようとする3流ゴシップ週刊誌に劣らないです、お世辞だけれど。秋亜綺羅の質問とその回答をうまく避けながら7ページにも及んでいて、とても立派です。


 野沢さんは「このひと(秋亜綺羅)はどういう資格でこんなつまらない文章を書いてひとに訴えようとしているのか」と書いています。確かに、嘘つきに付き合うほどつまらないことはありません。ほんとうにつまらないです。わたしは「ひとに訴えよう」などと思っていません。野沢さんがどうして真実がこれっぽっちもない文章を書き続けることになったのかを知りたいだけです。そして「資格」というより「責任」を逃れてしまった野沢さんの代わりに、当時の日本現代詩人会の理事長としての立場で、事実を確認しなければいけないと思ったからです。


 野沢さんの書くことに対して沈黙していることは、公益信託基金と日本現代詩人会との癒着を認めることです。もちろん事実だと判明すれば、わたし自身も野沢さんとともに闘うでしょう。だからこそ「公開質問」をしたのです。


 わたしは5年ほど理事をしていて、そのうち2年は詩集賞担当をしていました。その間、公益信託基金から圧力や権力を感じたことはありません。公益信託基金といっても、7名の委員は全員、日本現代詩人会会員の重鎮(?)ばかりです。それでも、馴れ合いを感じたこともありません。大体にして基金のお金を「自由裁量」できる人など存在できないのです。だから「裏」も「実権」も存在しないのです。そのくらいのことは取材してから書きなさいよ。


 質問には答えず、言葉じりをとるのが常套なようですが。野沢さんが選考委員長になった経緯をわたしは「偶然」と言い、野沢さんは「心ならず」と言った。「偶然」を否定する人が「心ならず」はないでしょう。つまり、どっちでもいいことばかり書いて、質問から逃げているとしか思えません。こんなもの7ページも書くほどヒマ人だったら、箇条書きにされた15の質問に答えなさいよ。(16番はわたしの意見にすぎないからいいですが)


 わたしの質問①の、高岡修が刺客として呼ばれた件については、間違いを認めたわけですね? 新藤凉子が野沢さんを候補として挙げたことも認めたわけですね? 

 

 わたしの質問のレベルが低くて答えてらんねぇや、と言いながらも、新藤凉子の別荘に招かれて楽しく過ごしたよとか、歴程には3回も誘われたんだぞ、とかお茶目に答えてもらってありがとうございます。2回でも4回でもよかったのですが。「わたしにはウソを言う理由がないから本当だ」という野沢さん。昔の小学生なら使っていたへ理窟かもしれないけれど、今どきはいくら何でもと大笑いでした。


 野沢さんに嘘を言う理由がないのなら、裏で実権を握っている者がいるのですか? という問題に進まなければなくなりますよ。そんな嘘ばかりを吹き込まれ、それを取材も調査も確認もしないで活字にする。おおよそ物書きの仕事とは思えません。


 それから。選考委員について新藤凉子が「秋さんが決めなさいよ」と言ったことを、独断的だと野沢さんは書いていますが、前後の文章をちゃんと読みなさい。理事会の提案により全理事からメールで候補者を示してもらい、そこからは会長・理事長に一任という理事会決定があったのです。それでわたしが候補者に電話をすることになったわけです。その一覧に野沢さんはなく、新藤さんの提案であったことは確かですので、野沢さん以外は理事会承認ということです。もちろん野沢さんも含めて次回の理事会で全員賛成で正式承認されていますので、野沢さんも問題ありません。


 野沢さんは7ページもの文を書くのに、どれだけ取材をされましたか? 中本道代とわたしは、第2次選考委員会当日に出席していた全員に連絡を終えています。野沢さんは証人が一人いる、と書いていますが。当時選考委員だった関西の一人の詩人が、新藤凉子が前のほうで誰かと話しているのを覚えている。それは誰とかは覚えていないし、話の内容は聞こえなかった、ということでした。ほかは全員、新藤凉子の会長挨拶でのその発言は聞いていないとのことでした。野沢さんが言う証人とは、その方ではないでしょうか?


 公益信託とは何かとか、全国の詩集賞授与関係機関の規約なども、ずいぶんと調べました。なんで「歴程」に飛び火したのか理解できませんが、歴程についてはここ5年ほどわたしが実務をしていましたので、調査には及びませんでした。同人どうしの論戦は当然ありますし、個性を曲げない詩人たちばかりです。詩壇で権力をなどという団結心など最初からないのが、歴程なのです。ただ、野沢さんも3回だか入会を勧められたように、新藤凉子はけっこう入会の勧めをしていたようです。野沢さんは、秋亜綺羅の理事長は新藤凉子の引きで、と嘘を書いていますが、その時はわたしは歴程同人ではありませんでした。新藤凉子とは初対面に近い状態で、新藤凉子会長・秋亜綺羅理事長の理事会が2年間あったというわけです。そこでわたしも誘われて歴程に参加することになったのです。今は辞めましたが。


 公益信託基金に対しては、今後どのように解決していくべきかを、相談しなければなりません。公益信託が選考に口を出していると言われたままでは、日本現代詩人会の詩集賞に賞金を出し続ける必要に疑問を持たれることでしょう。


 このままでは、2018年の現代詩人賞受賞者の清水茂にたいへん失礼になります。八重洋一郎にも失礼です。自分の意志とプライドを持って選考委員会に臨んだ当時の選考委員の詩人たちは、公益信託からの意思を汲んだと言われては心外でしょう。しかも、各自の選考評を選考委員長に批判(批評)される筋合いなどないでしょう。これまでの、H氏賞、現代詩人賞受賞者たちに対しても失礼というものでしょう。そして詩の世界に憧れる若い未来の詩人たちを落胆させることになるでしょう。


 わたしが「公開質問」を終了したのは、野沢さんによる嘘つきのベクトルがわかってしまったからです。質問には一つも答えず、その挙句「今回の公開質問のほんとうの仕掛け人はほかにいて、このふたりはその言いなりになっているのだ」だってさ。中本道代は当時の詩集賞担当理事として責任を持つための行動をしただけです。恥ずかしいことにわたしは中本より責任ある立場にいたことに気づき、二人で連絡を取り合ったことは事実です。その二人の本人が、理由がまったくない嘘の真上にまともに立たされたわけです。野沢さんの論(?)には、定義も証明もまったく無いのが不思議だったのだけれど。な~んだ、みんな、これだったんだ! ただの妄想! ぜんぶ嘘! と、わかってしまったので「公開質問」をするだけ無駄。それで終了したのでした。 


 最後に、野沢さんは「新藤がそんな馬鹿なことを私が会長挨拶で云うわけないじゃないの、と言ったという情報もおよそ怪しい。昨年十月七日に新藤は亡くなっているのだから、これは以倉の創作だろう」と書いています。野沢さんはなんて馬鹿野郎なんだ。あれは8月だよ。新藤凉子は以倉紘平からの電話の後すぐわたしに電話をくれたんだよ、激高して、とんでもなく。「絶対に許さないわよ」と。わたしはしばらく話を聞いて答えたのです。「大丈夫です。あの日のことは、わたしはちゃんと覚えています。一日中新藤さんの横にいましたから。4年も経ってなんで覚えているかというと、選考会で新藤さんが居眠りを始めたのです。最初は疲労がたまっているのだろうと放っておいたのですが、ちょっといびきが出そうになったので、さすがに肘を押しましたよ」と。新藤凉子はようやく落ち着いたようで「しばらくぶりに声を出して笑えたわ」と言って電話を切ったのです。「しばらくぶりに声を出して笑えたわ」がわたしにとって、新藤凉子の最後の声だったんだよ。その直後に新藤凉子の娘の美可さんから電話があり「母を入院させました」と。コロナのせいで面会もできず、電話も許されず、看護師さんを通して「秋亜綺羅に任せるから歴程祭をやりなさい」というメールが来たのです。そのまま新藤凉子は帰らなかったのです。「以倉の創作だろう」だと! 2度と言ってみろ! 全部が全部、その調子のお調子者め。


野沢啓さんの「回答」に対して中本道代からのメッセージです。

公開質問+
02 /08 2023


野沢啓さんの回答文を読んで

                     中本道代


 野沢啓さんの回答文は、肝心の質問にはほとんど答えようとせず、罵りと見下しに終始していて驚かされました。
 野沢さんは新藤さんが会長挨拶で「『日毒』は受賞の対象にしてはならない」と言ったと主張していますが、その言葉を誰も聞いていないことの理由を、秋さんや中本は「事の重大性を察知する能力と判断力が」ないからだと嘲り、選考委員の人たちは「これから始まる選考会のことで頭が一杯になっていた」か「『日毒』のことをほとんど知らず」「関心外だった」からだと見くびっているのです。今日で受賞詩集が決まるという日の会長挨拶ですから、緊張感のある空気の中で始まりました。そんな時に「〇〇の詩集は受賞させないように」と会長が言ったとしたら、皆驚いて耳をそばだてたはずです。「五年も前のことだし」と野沢さんは言いますが、そんな「前代未聞」の出来事があったら、たった五年で全員が完全に忘れてしまうということがあり得るでしょうか。それに、『日毒』は候補に上がっていたのですから、選考委員の人たちは精読して来ているはずです。「ほとんど知らない」とか「関心外」であったはずがありません。野沢さんにとって他者とは揃いも揃ってそれほど愚鈍なものなのですか。どうしてそこまで人を見下すことができるのか不思議です。
 秋さんと私は、自分たちの任期中の選考会で問題があったと言われて知らない顔はできず、でもそれが事実ではないことだったので、秋さんは野沢さんへの公開質問状を作成し、私は抗議文を書きました。それを野沢さんは「ほんとうの仕掛人はほかにいて、このふたりはその言いなりになっているのだ」と侮っています。野沢さんには、人が責任感から動くということが理解できないのでしょう。
 野沢さんは、新藤さんに悪意はないから嘘を言う理由がないと言っていますが、新藤さんには悪意はなくても、野沢さんがいつまでも名前を伏せたまま糾弾している「裏の人物」に対しては悪意があるように見えますが、違うでしょうか。
 また野沢さんは「わたしは…いちども〈不正〉という言葉を使っていない」と書いています。でも、イリプスには「(『日毒』は)残念ながら受賞にはいたらず次点に終わったが、そこには恐るべき詩壇政治家の策謀があった」と書かれています。それは『日毒』は策謀があったから受賞できなかった、と読み取れますが、それがすなわち不正ということではないのですか?
 そして、「秋亜綺羅などはそれまでの詩人としての実績からすれば何者でもなく、あくまでも新藤凉子の引きで理事長の座に収まっているだけではないのか」とも書いていますが、詩の世界に「何者でもない」人などいません。野沢さんはどうやって何者でもない人と何者でもある人を分けているのですか? そしてその場合、野沢さん自身はそのどちらに入ると思われているのですか?
 また「あくまでも新藤凉子の引きで理事長の座に収まっている」という言葉ですが、理事会に入っていない野沢さんにどうしてそういうことが言えるのですか? 誰かに聞いたのですか? 単なる推測ですか? 秋さんは能力があり、信頼できる人柄だから選ばれたのだとは思ってみることもないのですか? 野沢さんはやはり、伝聞か推測だけで、検証もせずに人を貶めるようなことを書く人なのだな、と思わずにはいられません。

野沢啓さんからの「回答」について。

公開質問+
02 /01 2023
 お忙しいのにご回答ありがとうございました。
 わたしの意見を1文字も書かずに野沢さんの「回答」をこのブログに掲載し、3日ほどになります。読んだ方には先入観なく比較して読んでいただけたかと思います。一説によれば「イリプスⅢ」に反論をお書きになるそうだ。とのことでしたが、直接ネットでお答えいただいたのは、とてもうれしく思います。「イリプス」はわたしの好きな詩人たちの大切な詩誌ですので、わたしとの論争などにページを使わせては失礼だな、とちょっと心を痛めておりましたので。
 せっかく箇条書きにして質問したので、認めるか否かを答えていただければいいものを、どこかの国の国会答弁みたいに、各論を総論に置き換えて、結果的に95%以上は返答していない。せっかくブログという、読みたい人はいつでも読める場所で交し合ったというのに、読んだ方には不満が募ったのではないかと思われます。
 しかしながら、中本道代とわたしにとっては、満額回答というか、とても満足いくお答えとなりました。もしも中本道代とわたしが同じ部屋で同時にこの「回答」を読んだとしたら、ふたり顔を見合わせて、大笑いしたことでしょう。実際、わたしはひとりで声を上げて、笑っちゃいました。
 野沢啓さんの「回答」のこの部分です。


   それをほかに誰もいなくて自分だけが主張しても
  それは通らないでしょう、とは中本の発言でそこに
  裁判になったらというニュアンスを付け加えるのを
  忘れていない。そこでわたしにははっきりわかって
  しまったのだが、今回の「公開質問」のほんとうの
  仕掛け人はほかにいて、このふたりはその言いなり
  なっているのだ、ということである。この裏の人物
  は『歴程』の次号にわたしへの反論を書いたとのこ
  とだが、そうしてみると、この「公開質問」のしか
  たとすべては符節が合うように動いていることがわ
  かる。


 これで、中本道代と秋亜綺羅も犯罪者集団の一味に決めつけられてしまったわけです。この文章の書き方って、きちんと材料があって証明できたときに使われるはずの文法ですよね。裏の人物って、以倉紘平でしょ? という質問にも答えず、懲りない方ですね。以倉紘平とわたしのこれまでの現代詩人会での関係だったら、疑ってもいいですよ。でも中本道代との接点はいくらなんでも。
 要するに、中本道代本人と秋亜綺羅本人が身をもって、100%の嘘の対象になっちゃいました。「ああ。すべては、これだったんですね」と中本道代とわたしはメールしあい、納得しあいました。これでふたりは自信を持って誰に聞かれても、野沢さんの言うことは勝手な想像で、しかも当たっていない。わたし自身が証拠です。と言うことができます。ありがとうございました。実感というか、体感というか、自分がそういった虚構の一部になるのも、不快じゃないですね。わたしだけかな?
 だいたい、詩人がほかの詩人の「言いなり」になるものですか? 詩の世界で何者でもない秋亜綺羅は、そんな関係を見たり聞いたりしたことがありません。野沢さんの世界にはあるんでしょうね。
 最初から書いていますように、当時の詩集賞担当理事だった中本道代と、当時の理事長だった秋亜綺羅が、事実を確認しておく必要を感じただけです。毎年3月に開かれるという基金の会議で話題になる前に、日本現代詩人会も事実の究明はしていますよと言わなければ、基金と日本現代詩人会の間に溝ができかねないと考えたからです。
 中本道代だって秋亜綺羅だって、こんなことに関わっていたくないですよ。長い質問原稿を書くよりもっと何倍もの時間をかけて、関係者に電話をしたりメールをしたり。そこで野沢啓さんの主張が事実だとわかれば、わたしは、以倉紘平と新藤凉子に「なんてことをしてくれたんだ!」と問い詰めるだけのことです。
 ちなみに、わたしは以倉紘平会長の時も理事の一人でしたが、確かに沖縄での「西日本ゼミナール」の講演者についての議題はありました。以倉会長は理事会でプログラムの変更はできないかと意見を確かに述べました。ただ、怒鳴ったりしていませんし、わたしは「ゼミナールは基本的に地元の詩人会に主導権を持たせるべきだし、これまでの印刷などの準備を変えるには時間がない」と言って反対しました。それが理事会というものです。それから、わたしが理事長になった時は歴程同人ではありませんでした。なぜだろうか、ベクトルの全部が逆なのが不思議です。
 でもこれで、回答されなかったことを再質問する必要もなくなりました。新藤凉子発言も「不正」ではないということですし、秋亜綺羅としてはこれで「公開質問」を終了します。中本道代が文章を書くようであれば、またこのブログを使用してください、と言ってあります。その時はよろしくお願いいたします。(秋亜綺羅)
 
 


野沢啓さんからの回答文です。

公開質問+
01 /29 2023
「秋亜綺羅『公開質問』への回答文」

 さて、この気の乗らない原稿にとりかからねばならない。というのは、秋亜綺羅が自分のブログページでわたしへの長ったらしい「公開質問」というのを書いて、わたしの書いた文章への無知まるだしで誤解と勘違いのオンパレードのあげく、まるで文章になっていない誹謗と中傷の駄文を書いて挑発してきているからである。
 このひとはいったいどういう資格でこんなつまらない文章を書いてひとに訴えようとしているのか。
 いちおう「公開」と名づけられている以上、最小限の回答だけでもしておいてあげないと、ますます勘違いして鼻高々になられても迷惑だから、回答しておくというにすぎない。しかし、ひとと対話を求めるなら、没論理で矛盾だらけの文章でない、もうすこしまともな文章を書いてくるのが礼儀だろう。二度も読み返す気にはなれない。(なお、この文章は秋亜綺羅のブログで公表したいらしいが、ちゃんと扱う保証はないので、みずからのブログページに掲載する予定であることをあらかじめ言っておく。)
 ことの起こりはこうである。昨年(二〇二二年)夏号の『季刊 未来』にわたしは「八重洋一郎の詩に〈沖縄〉の現在を読む――言語隠喩論のフィールドワーク」という文章を発表し、八重洋一郎の詩がもっている重要性とその意味づけをおこなったうえで、二〇一八年の日本現代詩人会主宰の現代詩人賞の第一次選考委員会でわたしが推薦して受賞候補にくわえた八重洋一郎詩集『日毒』にたいして、当時の新藤凉子会長が、最終決定をするはずの第二次選考委員会か始まるまえに、そのときのH氏賞選考委員とわれわれの現代詩人賞選考委員が両方とも集まり、ほかに理事会の関係者も数人いるまえで、あろうことか、この『日毒』は受賞してはならない、と発言したことに言及した。こんな無法なやりかたはないだろうと思ったわたしはすぐにその理由を糺したのは言うまでもない。すると新藤会長はそれは「ある筋」からの意向だと言うので、さらにわたしがその「ある筋」とは誰のことかと追及したところ、名前こそ出さなかったものの「この詩集の賞金を出す基金を預かっている者だ」と返事したのである。わたしはむかしから新藤凉子とは馴染みもあるからよく知っているが、こうした大らかさというかスキの多い、アーレント的な意味でのフリッパントな性格が出ていておもしろいのだが、はからずもこの一件について誰が係わっているかを問われるがままに白状してしまったのである。そして言うまでもなくこの人物は桃谷容子基金ほかの公益信託基金の形式的な代表とされている郷原宏氏のことではない。その裏で実権を握っている者のことだ。
 そう言えば、この人物は、数年前に沖縄で現代詩ゼミナールが開催されることになったとき、講師に八重洋一郎が呼ばれたことにたいし、理事会でその担当者をものすごい剣幕で怒鳴りつけたそうである。これは理事会の何人ものひとから聞いている。こうした誰でも知っている事実も「伝聞」ということでこのひとたちはすべて推測、憶測、ということばを並べて形式的に処理しようとするからだめなのだ。
 さて、会長挨拶のあとの選考委員会ではこうした妨害工作をはねのけて、内容には不満はあるものの形式的にはきちんとした選考がおこなわれたことは言うまでもない。この選考委員会では会長発言など問題にしなかった。委員長のわたしに責任がある、という秋発言はお門違いもはなはだしい。秋によれば《野沢さんが偶然に選考委員長になったことをいいことに》わたしが『日毒』について《長々と力説する独壇場》となり、《委員長はどちらかと言えば、議長役であるべきで、そんなに自説を述べる必要があるのか》といった卑屈な論理を出している。わたしはこれまで二度H氏賞の選考委員を指名されたことがあるが、今回と同じく、いずれも選考委員の互選で心ならずも選考委員長をやるハメになった。たんなる議長役などとして引き受けたわけではない。秋は偶然性を主張するが、そんなことはない。あくまでも互選であって、このときちがうひとを選んだのは塚本敏雄と黒岩隆の『歴程』メンバーだけであって、どういうわけか同じメンバーの高岡修はわたしを選んでいる。こんなことを言うのは、わたしは委員長であろうがなかろうが、議長役、進行役などといった不似合いな役割を強制されることはなく、自説をきちんと言っただけだということである。このあたりからして秋亜綺羅はなにもわかっていない。
 そんなことよりも秋亜綺羅と中本道代(当時の詩集賞担当理事)が言いたいのは、そもそも新藤会長発言はわたしの勘違いか思い込みか、さらには悪意に充ちた中傷だ、というまったくとんでもないデマだ。かれらはその証拠に自分たちふたりもすぐ横にいたのに聞いていないし、現代詩人賞選考委員にも確認したところ、誰も記憶がないことを論拠としている。もう五年のまえのことだし、さらには選考会が始まるまえの儀礼的な会長挨拶だろうと考えてちゃんと聞いていないか、聞いたとしても『日毒』のことをほとんど知らないひとたちだったら最初から関心外にあり、むしろこれから始まる選考会のことで頭が一杯になっていただろうことは容易に想像ができる。わたしは自分が推薦した詩集を選考以前にむげに斥けようとするこの発言は何なのだと思ったからで、それも二度質問を繰り返してさきほどのような裏事情を引き出したから間違いなく覚えているのだ。それをほかに誰もいなくて自分だけが主張してもそれは通らないでしょう、とは中本の発言でそこに裁判になったらというニュアンスを付け加えるのを忘れていない。そこでわたしにははっきりわかってしまったのだが、今回の「公開質問」のほんとうの仕掛け人はほかにいて、このふたりはその言いなりなっているのだ、ということである。この裏の人物は『歴程』の次号にわたしへの反論を書いたとのことだが、そうしてみると、この「公開質問」のしかたとすべては符節が合うように動いていることがわかる。秋亜綺羅と中本道代は自分たちがそんな大事なことを聞き逃すはずがないと言うが、この問題の重要性はわたしの文章によって初めて明らかにされたのであって、かれらに事の重大性を察知する理解力と判断力があるとはとうてい思えないのだ。ましてやこんな唐突な会長発言に対応できる思想的瞬発力などもないだろう。かれらのこれまで書いてきたものを見てもそうした能力を期待させるようなものは見たことがない。わたしの本や雑誌も最初は送っていたが、なんの反応もないし、おそらく読んでもいないか、読んでもわからないだろうから送るのをやめてしまった。もっとも中本にはむかしの誼みで送っていたが、こういうかたちで仕返しをしてくるとは思わなかった。
 そもそもかれらが気がつかないか、そのふりをしているのは、わたしにはウソを言う理由がないということである。新藤凉子の熱海の別荘にみんなで招かれて楽しく過ごしたこともあるし、歴程にだって三回も誘われたこともあるぐらいの良好な関係だからなんの問題もなく、その時宜にふさわしくない会長としての発言だからこそ問題にしたのである。実際、秋亜綺羅が選考委員の選定について無防備にも書いているところによると、わたしを選んだのは新藤凉子自身だというではないか。わたしも第一次選考会のときに会長に「いったい誰がわたしなんかを選んだのでしょうね」と聞いたところ、即座に「わたしよ!」と力を入れて返事をしたぐらいなのである。中本も不思議だと言ったように、なぜその不思議=ウソをつく必然性のないこと、に考えが及ばないのだろう。悪意など最初から微塵もないのである。そう言えば、この裏の人物はわたしが歴程のメンバーである、とかそれこそウソをまき散らしている。さきに言ったように、わたしは新藤凉子の誘いを三回とも断っている。これは若いときにあるひとから「君、歴程なんかに入っちゃだめだよ」と何度も念押しされていたからである。
 いずれにしても、かれらの論拠はいずれ崩れることになるし、そうなれば「公開質問」なるものの無意味さがはっきりし、ここでのわたしにたいする一方的な悪罵とバカげた理屈はみな消失することになるだろう。だから秋がわざわざ列記した間違いだらけの幼稚な質問項目にさしあたっては包括的に応えることで十分すぎるほどである。
 それからいちいち挙げていたらきりがないが、わたしはこの文章とその後の『イリプスIIIrd』1号の「言語隠喩論のたたかい――時評的に1」でいちども〈不正〉ということばを使っていない。ひとの文章もろくに読まずに、あるいは読んでもわからずに、わたしが使っていないことばを自分のほうが何度も使っているのは、あなたたちお得意の思い込みなのか、もしかすると新藤会長発言の〈不正〉をじつは了解していることの無意識の現われなのだろう。パスカルに《感情は理智の知らない真理を知っている》ということばがあるが、ふたりの感情はそんなふうに逆説的に動いてしまったのだろう。フロイトだったらこの間違いの真相をもっと鋭く深く切開してみせる。言い間違いはたんなる間違いでなく、自分の心の内情を暴露してしまうものだ、とね。
 それからもうひとつだけ事実を明らかにしておこう。新藤凉子会長が歴程の会でつねづね日本現代詩人会の会長は歴程から出さなければならないと言っていたことはたしかに伝聞ではあるが、歴程の複数のひとから聞いていることであり、会長+理事長人事の現実もここ数年は歴程メンバーで構成されている事実がある以上、秋が知らないふりをするのはどうみてもおかしい。
 このことは現に詩集賞に端的に現われている。数ある詩人賞のなかでも比較的歴史が短いか財政基盤の弱そうなところは選考委員がほとんど歴程メンバーで占められているというレッキとした事実はどう説明するのか。
・丸山薫賞(豊橋市)の選考委員――以倉絋平、新藤凉子、高橋順子、八木幹夫、高階杞一(前の四人は歴程同人、ただし八木はその後に歴程を退会している)
・山之口貘賞(沖縄県)の選考委員――以倉絋平(委員長)、高橋順子、市原千佳子(すべて歴程同人)
・三好達治賞(大阪市)の選考委員――以倉絋平(二〇一六年から委員長)、高橋順子、池井昌樹、岩阪恵子(前の三人は歴程同人、ただし池井はその後に歴程を退会している。この賞は二〇一九年で終了したので、名前はその時点のもの)
・このほかに伊東静雄賞(諫早市)や小野十三郎賞(大阪文学学校)にも資金を提供している。
 萩原朔太郎賞や中原中也賞など大きな賞にはさすがに入りこめていない。こうした選考委員の顔ぶれをみると、どう考えても歴程グループによる偏向した選考が見えてこざるをえない。詩人としてそこまでの実力も評価もない人間がこうまで小さな権力にしがみつくのは詩人として情けないことではないだろうか。こういうことを書くとわたしがそんなことにかまけている人間に見られかねないので、このさいはっきり言っておくが、こういう人事にはいっさい興味がないことも言っておかなければならない。秋亜綺羅が最初のほうで《中本道代から電話をもらったわたしは噂ではすこしく聞いていたので「詩論の戦いならばともかく、賞がどうのという、詩と直接関係ないレベルの話でしょ。どうでもいいんじゃない?」と答えた》と言っている。その舌の根もかわかぬうちにこのような「公開質問」など仕掛けてくるのもやはり誰かの差し金だろうか。
 さらにもうひとつ。このときの選考委員の選考は新藤凉子会長が当時の理事長であった秋亜綺羅に「秋さんが決めなさいよ」と言った、と秋はわざわざ書いている。こんな大事なはずの選考委員の決定が会長と理事長のあいだで独断的に決めてもかまわないと思ってしまうのも歴程的だ。こう言っては悪いけれど、秋亜綺羅などはそれまでの詩人としての実績からすれば何者でもなく、あくまでも新藤凉子の引きで理事長の座に収まっているだけではないのか。そんな人間が公平な人事をひとりの判断でおこなえるはずがない。この体質こそ新藤凉子流の独占的引き回しの構図そのものである。渦中にいる人間にそのことが見えないということが今回の「公開質問」のレベルの低さをよく示しているのではないか。
 ほかにもいろいろ言うべきことが山ほどあるが、わたしもそんな時間つぶしをするほどヒマ人ではないので、お勉強はご自分でどうぞ。(2023/1/26, 27) 

秋亜綺羅

(1977.06.19)左から寺山修司、清水昶、八木忠栄、秋亜綺羅