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梅津和時・秋亜綺羅・伊藤文恵ライブが終わりました。

詩の朗読
10 /16 2013
 こんにちは。 秋亜綺羅です。

 10月11日(金)夜、仙台市青葉区立町にあるライブハウス・サテンドール2000で、梅津和時(サックス)・秋亜綺羅(詩)・伊藤文恵(舞踏)ライブがありました。 リハーサルなど一切なく、3人が出会って15分後にはゴング。 2時間に及ぶ、激しく、せつない?! 祭りは終わりました。 お祭りの後はふつうむなしいものだけど、この夜ばかりは余韻がさめやらないままで、日付変更線をわたることができました。

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 3人はそれぞれ互いのパンチを受けとめながら、自分の個性と技術の限界を出し切ったように感じました。
 いささか狭い会場は、超満員。 詩人の一方井亜稀、藤川みちる、伊達泳時、高橋泉、エンタテイナーの日野修の顔も見えました。
 写真を撮ってくれたのは、横浜から来てくれた写真家・宮内文子。
 
 ビデオも撮影していたので、公開されたらまた報告します。




あやつり人形
 
完璧な暗闇で目をつむると
水溶性の映画がやってくる
世界でいちばん明るい場所がそこにある
 
マッチを擦って煙草に火をつけた
瞬きすれば使い捨てガスライターの時代が使い捨てられる
 
わたしの国の天井では電球から蛍光灯へと吊るし換えられた
わたしたちの命題は夜を暗闇に葬ることなのか
 
地震が起きて電源が失われる
わたしたちのあやつられる足はそのとき言語を失調する
 
人生なんて人形芝居
ひとがあやつり人形にすぎないのならば
 
この足は思想が足かせ
こちらの足は装置が足かせ
 
疑惑をもみ消した信念など役に立たないのだ
人形たちが望むものは理論なんかじゃなく、仕掛け
 
ユートピア理論の敵は、自分のこころをユートピアにしてしまうことだ
人形たちのこころはじゅうぶんに貧しく。傷口だらけ
 
せめてできるだけ底の薄い靴を履くこと。地球を踏みつぶせる感じがして
そんな感じを履きたいとおもうのだ
 
自分の匂いがおもいきり染みるまで一着の服を着替えない
そんな日数を着たくなる
 
わたしは人形を背負った少女を背負っている
わたしは〈かたち〉と背中合わせ
 
少女はわたしにだけ唄う
あんたのこと好きじゃない
殺したいほど好きだけど
ほんとに殺すほど好きじゃない
 
少女はわたしにだけ囁く
ねえ、あたしのそばにいてよ
あんたのそばに、いてあげるから
 
一発の銃声は人生を変える
一度放たれた弾丸は世界のどこかに必ず当たるものなのだ
 
わたしの国では火のついた導火線の利用法を会議している
死んだふりした幽霊たちと、身を隠した透明人間たちと
 
誰かは走った
誰かは走らなかった
 
入り口が見つからなければそこはもう世界なのだ
出口がなければ〈出口はない〉と逆説する
 
インスタント食品〈最後の手段〉を買いにマーケットまで
詩も思想も笑いながら焼き捨てて
 
おそらく食事はおいしいとおもうのだ
いま飢えているところだし
 
一家団らんする
わたしと、逆説されたわたしと
 
わたしの人形と
逆説されたわたしの人形と
 
あやつられる時代と
逆説されたあやつられる時代と
     






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YouTubeの秋亜綺羅の朗読にCMが付いちゃった。

詩の朗読
09 /28 2013

 こんにちは。 秋亜綺羅です。

 久しぶりに YouTube の自分の映像を見てみたら、なんと、広告が付いていました。 「九十九行の嘘と一行の真実」 という詩の朗読です。 いつもこのブログの下に、リンクを貼っていたので、いつのまにか、たくさんの方が覗いてくださっていました。

 秋亜綺羅の詩の前座に、日替わりで、AKB48など有名タレントが登場します。 前座で。 ふふふ。 前座で。

 しかし。 この朗読には、アニマルズの 「朝日のあたる家」 を無断使用していたので、いつ削除されるかと恐怖していたのです。……

 そしたら! なんと映像の下に、「The House of the Rising Sun を購入」 のボタンが! YouTube すごい! わたしまけましたわ。(回文) 






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仙台文学館での詩画展が無事終わりました。

詩の朗読
09 /18 2013
 こんにちは。 秋亜綺羅です。
 9月16日(祝)、仙台文学館で開かれていた 「宮城県詩人会詩画展」 が無事終了しました。 わたしは、宮内文子の写真と、お祭りTOSHIの写真に、詩をコラボするという形で2点参加しました。

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 左が宮内文子、右がお祭りTOSHIです。 それぞれにQRコードが付いていて、それをスマホなどで読み取ると、わたしの詩を、女優で劇作家の藤川みちるが歌ってくれます。

 この詩画はA1と、けっこう大きいものです。 無造作に4本の画びょうで留められ、無造作に壁に立てかけられています。

 実は、この詩画の裏に隠されているものがありました。

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 48色のクレヨンと、風船がふたつ、白い紐が1本、それと金づちでした。 偶然これらを見つけた少年は、これらの道具を使って、このふたつの写真といっしょに空を飛ぶことができるにちがいありません。

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 取り出すと、こんな感じです。

 最終日は朗読会も行われ、宮内文子も横浜から駈けつけてくれました。 朗読会では、あたかも詩画から飛び出してきたように、藤川みちるが踊りながら歌ってくれました。 それはまた次の機会に紹介します。 台風のど真ん中で開かれた朗読会。たくさんのお客様がいらっしゃいました。 ありがとうございました。






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久しぶりにカクテル・ポエム(朗読)します。

詩の朗読
09 /08 2013
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 久留米市での朗読(5月11日)以来、久しぶりにカクテル・ポエムをします。 わたしはいわゆる朗読パフォーマンスを、カクテル・ポエムと呼んでいます。
 活字の詩というのは、その道具が活字あるいは印刷なわけだけれど…。 たとえば楽器や肉声や舞踏や仕掛けなどを道具にして表現される詩。 というのが、カクテル・ポエムです。 その場合テキストは、詩人が演奏するための楽譜にすぎません。

 今回は宮城県詩人会主催の 「詩祭2013」 のなかに混ぜてもらうかたちです。 劇作家で俳優の藤川みちるに、わたしの詩をひとり言のように歌ってもらい、わたしは吠えまくろう。 とか考えていますが…。 

 宮城県が誇る尾花仙朔も出演するので楽しみです。 ファンタジー画家で詩人の石川かおりも、なにか仕掛けがありそうです。
 9月16日(祝)14時より、仙台文学館にて。 ぜひ一度ご覧になってみてください。

 それからわたしの予定ですが、10月11日(金)夜、仙台・立町のサテンドール2000で、梅津和時・秋亜綺羅・伊藤文恵ライブがあります。 こちらもよろしくです。






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藤川みちる/1+1は!/ひとは嘘をつけない

詩の朗読
08 /13 2013



こんにちは。 秋亜綺羅です。
 仙台在住の女優であり、劇作家、詩人の藤川みちる(21)が、わたしの詩に曲をつけて歌ってくれました。

 これは、9月16日(祝)14時~、仙台文学館で開かれる 「宮城県詩人会詩祭」 で、秋亜綺羅の朗読に挿入歌として入る予定のものです。(宮城県詩人会詩祭)
 わたしが朗読するつもりの詩は 「ちょうちょごっこ」(「現代詩手帖」5月号)。 藤川みちるが歌う挿入歌は、「1+1は!」(朝日新聞5/14夕刊) と、「ひとは嘘をつけない」(東京新聞5/25夕刊)。

 「1+1は!」 と 「ひとは嘘をつけない」 は、伴奏がいっさいない。 PAも音響もなく、藤川みちるの手探りの音感だけが頼りです。 まして、ふつうの楽曲みたいに、曲に詩をつけたものでもなければ、音楽向けのリズムも韻も、詩は考慮していません。
もちろん一番、二番…といった作詞のかたちなどありません。

 わたしが藤川みちると打合せをしたことは、ひとりごとのような詩の囁きが、気づくと、ことばが音になっている、という感じ。 音楽はややもすると大衆を慰めたりするのに使われるけれど、今回の場合、自分のために囁くこと。 聴くひとが存在したとしても、それはひとりであること。 好きなひとの耳元で気持ちを込めて歌うだけで、じょうずに歌おうとしないこと。

 この歌を聴くひとは、たぶんパソコンやスマホなどが多いと思うのだけれど、少女がひとりでこっそり歌っているところを、自分だけ聞いてしまった、みたいな感覚がしたら、成功です。 詩なんて、こっそり書くわけですが、たまたまそれを見てしまうひとがいる。 それでいいんだ、と思うのです。

 ところでいま、このふたつの詩と歌を使って、詩画を制作しています。 詩画といっても写真と詩です。 写真は 「1+1は!」 が宮内文子、「ひとは嘘をつけない」 はお祭りTOSHI にお願いしています。 詩画に印刷されたQRコードをスマホで読み取ると、藤川みちるの声を聞きながら、写真を楽しむことができます。 近く公開できると思います。



「1+1 は!」
                     秋亜綺羅
 
 
空気が踊ると風を感じるよね
空気が眠れば気配を感じる
気配はもうひとりのぼくだとおもう
一緒に歌って笑ってた、きみのこと
 

涙がとまらなければ
金魚と友だちになろうよ
金魚は悲しくても
涙を流すことができない

ガラスの部屋でうずくまるきみは

壊れたこころを癒し終わって
ガラスを壊すときが来るだろう
だいじょうぶ、こわいけれど

ぼくはいつも一緒だから

ひらめきと、ときめきさえあれば

生きていけるさ
 
だけどあるときは、ぜんぶ裸になって
あるときは派手なコスプレをして
みんなの前に現われる
そんな勇気がいるのかもしれないね
 

これからぼくたちが向かうだろう
水平線だって波立っている

この場所と時間だけがいまのぼくたち
ふたりで写真を撮ろうか






「ひとは噓をつけない」  
                      秋亜綺羅
 
  
オモテは裏にとってみれば
裏なのかな
 
ぼくの影にとってみれば
ぼくは影なのかな
 
行方不明になれる権利とか
死ぬのが惜しいとおもう夜とか
もうひとりのぼくと喋れる糸電話とか
ぼくが欲しいものはたくさんある
 
ぼくを一本持って
鉛筆は詩を書いている
 
ことばは反則も場外乱闘もできない
「反則」も「乱闘」も辞典の中にあるんだ
 
籠の中から青い鳥を放してあげようか
青い鳥は黒い青空を舞ったあと
巨大な鳥に食べられるだろう
 
食べられながら自由を感じるんだ
自由は巨大な鳥を食べるんだよ
 
真実があるから
噓があるんだよね
 
ひとは噓をつけない
だって真実なんて
辞典の中にしかないのだから





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伊藤文恵が仙台を動詞にした。

詩の朗読
05 /27 2013
2013年5月25日(土)、伊藤文恵が仙台を踊った。ぞ。
仙台・定禅寺通り、国分町を終日踊りつづけた。

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一+一は!
秋亜綺羅
 
  
空気が踊ると風を感じるよね
空気が眠れば気配を感じる
気配はもうひとりのぼくだとおもう
一緒に歌って笑ってた、きみのこと
 

涙がとまらなければ
金魚と友だちになろうよ
金魚は悲しくても
涙を流すことができない

ガラスの部屋でうずくまるきみは

壊れたこころを癒し終わって
ガラスを壊すときが来るだろう
だいじょうぶ、こわいけれど

ぼくはいつも一緒だから

ひらめきと、ときめきさえあれば

生きていけるさ
 
だけどあるときは、ぜんぶ裸になって
あるときは派手なコスプレをして
みんなの前に現われる
そんな勇気がいるのかもしれないね
 

これからぼくたちが向かうだろう
水平線だって波立っている

この場所と時間だけがいまのぼくたち
ふたりで写真を撮ろうか
 


                                                      英語版*本堂とみ訳






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詩集からはみ出した 「気違い」

詩の朗読
09 /12 2012
 
 
 
 こんにちは。 秋亜綺羅です。
 
 わたしの詩集 『透明海岸から鳥の島まで』(思潮社) に載せることができなかった詩のひとつに、「気違い」 があります。 編集者もわたしも、ぜひ詩集に収録したいと考えたのですが、放送禁止用語であることばは、やはり遠慮すべきという配慮でした。
 「気違い」 を 「精神障害者」 などと書き換えると、詩が成立しなくなるのは、明白でした。
 
 「気違い」 の朗読(カクテル・ポエム)は、いままで YouTube に2分割されてUPされていたのですが、今回ノーカットでまとめましたので、ご紹介しました。 以前にUPしたとき YouTube は10分以上のものはダメだったのです。 お時間の許す方は見ていってもらえるとうれしいです。
 
 また以前の2本の 「気違い」 は延べ1万2千名のかたに視聴されていました。 ので、パソコンに登録されている方もいらっしゃると思いますが、以前のものは削除させていただきましたので、あらたに登録してもらえるとありがたいです。
 
 2年半ほどまえに、仙台のエルパーク仙台で公演されたものです。
 いささかマニアックな世界です。
 
 「ドリーム・オン」 というタイトルのイベントでした。 詩を聞いたふたりの俳優(舞踏家)が、感じるままに動く、というものです。 1時間以上のイベントで、この 「気違い」 がラスト・シーンでした。
 1カ月以上も練習していたのですが、ラストにわたしの尊敬するミュージシャン・只野展也が即興で演奏してくれるのを知ったのは公演の1週間まえ。 丹野久美子の演出でした。
そのとき詩を一篇渡していたのだけど、当日わたしが朗読したのは別のもの。
只野は1行の詩も見ないまま、演奏に入っています。 わたしの詩がどこで始まって、どこで終わるのかも知りません。
わたしは只野展也の演奏だけに集中して朗読することになりました。 わたしの譜面台の原稿のうえには、りきんだ左手がのっかり、原稿を読んでいる気配はありません、ね。
 
伊藤文恵と斎木良太のふたりの俳優も、そんな殺気? を感じてくれているのが、わかります。
詩のタイトルは、「気違い」。
精神病院に入院させられた「気違い」が、まわりのあんたたちこそ気違いだ、と叫んでいる詩です。 気違いになりきっているのはどこのどいつだい。 わたしだよ。(古!)
 
伊藤文恵が、舞踏では禁じ手? とおもわれる、ジャンプの連続をし、声をあげて叫んでいます。
見ものです、ぜ。
 
 
企画・構成=丹野久美子
出演=伊藤文恵、斎木良太
シンセサイザー演奏=只野展也
詩=秋亜綺羅
制作=劇団I.Q150
 
 
 
カクテル・ポエム「ドリーム・オン」
気違い
秋亜綺羅
 
いつだって会議は仲間からはずれるべき奴をひとり決定することで成立する
その奴というのはまさにぼくでしかない
というのが今回の会議の結論らしいのだ
死んだ鳥のようにぼくを寝せてしまえば
会議はベットのまわりででもつづけることができるからだ
 
ぼくは街路樹の木の葉たちがみんな虫にみえる
安心して街の空気を吸っているのは木の葉たちでぼくではない
だからぼくのお腹には虫がいるんじゃないかとおもう
そうおもってしまうとぼくは青白くて痩せている
友人たちはそんなぼくをみてお腹に虫がいるんじゃないか
医者に見せたほうがいいといって看護婦を抱いて酒をのんでいる
そんな時ぼくは友人たちの顔が街路樹の木の葉に見える
ぼくの主食は街路樹の木の葉なので
木の葉が手に入らなければ呪ってでも手に入れる
長生きできないのかも知れない
どうせ長生きしないのだからお酒をたくさんのむ
友人たちはぼくがとても青白くて痩せているという
木の葉のように飛んでしまうんじゃないかという
 
眼を瞑っても開いても在るものをぼくは夢と呼ぶ
ぼくは空を飛ぶ時いつも
仰向けの魂と一緒に青い肉体まで飛んでいくので
友人たちの老いた後姿を記憶にとどめるのが
精一杯であるほんとうだ夢じゃない
 
そんな夢から醒めるとベットのまわりには友人たちと
医者と看護婦とが
立ったまま会議している
 
頼むからぼくも仲間にいれてほしい
ぼくはあなたたちと何も変っちゃいないぼくは虫だ
頼むからと頼んでもぼくの望まない注射液と薬が
友人たちと医者と看護婦の笑い声と区別がつかなくなって
お腹のなかに注ぎ込まれている
ぼくは目を醒ますことを許されない
神よ!
とぼくは叫ぶ!!
木の葉たちはそれをうわごとだろうという
 
気違いというのは
ぼくを神様だと信じているぼくの仔猫のことをいうのではないだろうか神よ
気違いというのは
もう少しであなたに助けられたはずのぼくの子どものことをいうのではないだろうか神よ
気違いというのは
何度もあなたとの心中を試みたぼくの妻のことをいうのではないだろうか神よ
気違いというのは
あなたが怖くて故郷に逃げ帰ったぼくの妹のことをいうのではないだろうか神よ
気違いというのは
神に誓ってなどと平気でいうぼくの立派な片親のことをいうのではないだろうか神よ
 
 
 
 
 
 
 
「季刊ココア共和国第10号」 のおしらせ
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ひよこの唄が YouTube に UP されたよん

詩の朗読
01 /09 2011
                                             (写真をクリックすると音が出ます。ご注意ください)
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 こんにちは。 以前にこのブログで紹介していた 「ひよこの唄」 が YouTube に UP されました。
 これは、わたしの作になるカクテル・ポエム 「ひよこの空想力飛行ゲーム」 の挿入歌です。


  わたしの部屋には、 このまえお祭で買ったひよこが1羽います。
  夜寝るとき、 わたしをおかあさんと思っているのか、
  近づいて来て、 わたしのお布団に入って来ます
  
  ひよこは鳥なので、 将来青空を飛ぶ予感を持っているのです。
  わたしのお布団のなかで、 空を飛ぶ夢を見ているのでしょう。
  うれしそうな表情で、 肩甲骨ののところを震わしているのです。
  
  だけれど、 おとなになって、 ニワトリになったとき、
  ひよこは自分が、 空を飛べないことを知るのです。

  空を飛ぶだろう 「予感」 と、
  飛べないことを知る 「絶望」。
  それがひよこの、 運命なのです。 

  飛ぶことをあきらめるときが、
  ひよこがおとなになれるときです。


 丹野久美子は、「ひよこ」 がつぶやくように、 ささやくように、 歌っています。



  ひよこの唄 (音が出ます。ご注意ください) 

  うた/丹野久美子
  作詩/秋亜綺羅
  作曲/サイトウミノル
  ギター/サイトウミノル
 
 
  ねえ、 抱っこしてよ
  軽くでいいよ
  わたしは心のなかで
  強く抱きしめ返すから
 
  寒くもないし
  お腹もすいていない
  すこし暗いけれど
  好きなひとの顔を
  見ることができる
  さようなら
 
  ねえ、 キッスしてよ
  もうすこしだけ
  ふたりは唾液のなかで
  きっと同じ日に死ねる
 
  ねえ、 まあだだよ
  帰れないかもしれないけれど
  青空を泳ぎつづけるよ
  好きだよ
  きっとあしたも、ね
  さようなら


 
 で、 ついでながら。 このCDには、 「ひよこの空想力飛行ゲーム」 の挿入詩 「残り半分のあなた」 も、丹野久美子が朗読をしてくれています。



   残り半分のあなた (音が出ます。ご注意ください)

   秋亜綺羅
   (朗読・丹野久美子)
   (音楽・サイトウミノル)
 
 
  水平線では
  泳ぐものと飛ぶものが半分ずつ溶け合っています
 
     鏡と現実の境界にも水平線があって
     ふたりのあなたが半分ずつ溶け合っている
 
     だから鏡を見ているあなたは
     半分だけあなたなのです
 
     残り半分のあなたはまだ鏡の中にいて
     隠れたままかもしれません
 
     帰りたくないのかもしれないね
     あなたは半分だけ自分を嫌いだから

   
   

カクテル・ポエム 「気違い」                     秋亜綺羅

詩の朗読
11 /19 2010
 
 
 こんにちは。秋亜綺羅です。
 わたしのカクテル・ポエム(詩の朗読)がYouTube にUPされたので、時間の許す方は覗いていってもらえるとうれしいです。
 昨年の11月に、仙台のエルパーク仙台で公演されたものです。
 
 ということで、何回かに分けて紹介させてもらったカクテル・ポエム「ドリーム・オン」もきょうでお仕舞いにします。
 いささかマニアックな世界でした、ね。ずっとお付き合いいただいたよい子のみなさんも、はじめからスルーしている賢明なみなさんも、これでおわりです。お疲れさまでした。
 
今回は「気違い」という詩です。わたしの尊敬する音楽家・只野展也が即興で演奏してくれています。
公演の1週間まえに只野が稽古を見に来てくれたとき、当日楽器を持ち込んでくれることをお願いしたのでした。そのとき詩を一篇渡していたのだけど、わたしが朗読したのは別のもの。
只野は1行の詩も見ないまま、演奏に入っています。わたしの詩がどこで始まって、どこで終わるのかも知りません。
わたしは只野展也の演奏だけに集中して朗読することになりました。
伊藤文恵と斎木良太のふたりの俳優も、そんな殺気?を感じてくれているのが、わかります。
 
詩のタイトルは、「気違い」。
精神病院に入院させられた「気違い」が、まわりのあんたたちこそ気違いだ、と叫んでいる詩です。気違いになりきっているのはどこのどいつだい。わたしだよ。
 
 
企画・構成=丹野久美子
出演=伊藤文恵、斎木良太
シンセサイザー演奏=只野展也
詩=秋亜綺羅
制作=劇団I.Q150
 
 
 
 
 
 
カクテル・ポエム「ドリーム・オン」
気違い
秋亜綺羅
 
 
いつだって会議は仲間からはずれるべき奴をひとり決定することで成立する
その奴というのはまさにぼくでしかない
というのが今回の会議の結論らしいのだ
死んだ鳥のようにぼくを寝せてしまえば
会議はベットのまわりででもつづけることができるからだ
 
ぼくは街路樹の木の葉たちがみんな虫にみえる
安心して街の空気を吸っているのは木の葉たちでぼくではない
だからぼくのお腹には虫がいるんじゃないかとおもう
そうおもってしまうとぼくは青白くて痩せている
友人たちはそんなぼくをみてお腹に虫がいるんじゃないか
医者に見せたほうがいいといって看護婦を抱いて酒をのんでいる
そんな時ぼくは友人たちの顔が街路樹の木の葉に見える
ぼくの主食は街路樹の木の葉なので
木の葉が手に入らなければ呪ってでも手に入れる
長生きできないのかも知れない
どうせ長生きしないのだからお酒をたくさんのむ
友人たちはぼくがとても青白くて痩せているという
木の葉のように飛んでしまうんじゃないかという
 
眼を瞑っても開いても在るものをぼくは夢と呼ぶ
ぼくは空を飛ぶ時いつも
仰向けの魂と一緒に青い肉体まで飛んでいくので
友人たちの老いた後姿を記憶にとどめるのが
精一杯であるほんとうだ夢じゃない
 
そんな夢から醒めるとベットのまわりには友人たちと
医者と看護婦とが
立ったまま会議している
 
頼むからぼくも仲間にいれてほしい
ぼくはあなたたちと何も変っちゃいないぼくは虫だ
頼むからと頼んでもぼくの望まない注射液と薬が
友人たちと医者と看護婦の笑い声と区別がつかなくなって
お腹のなかに注ぎ込まれている
ぼくは目を醒ますことを許されない
神よ!
とぼくは叫ぶ!!
木の葉たちはそれをうわごとだろうという
 
気違いというのは
ぼくを神様だと信じているぼくの仔猫のことをいうのではないだろうか神よ
気違いというのは
もう少しであなたに助けられたはずのぼくの子どものことをいうのではないだろうか神よ
気違いというのは
何度もあなたとの心中を試みたぼくの妻のことをいうのではないだろうか神よ
気違いというのは
あなたが怖くて故郷に逃げ帰ったぼくの妹のことをいうのではないだろうか神よ
気違いというのは
神に誓ってなどと平気でいうぼくの立派な片親のことをいうのではないだろうか神よ
 
 
   

カクテル・ポエム 「四匹の黒犬が黙る」              秋亜綺羅

詩の朗読
11 /15 2010
 
 
 
こんにちは。秋亜綺羅です。
ちょっとブログをサボっていました。
で。きょうは、カクテル・ポエム『ドリーム・オン』の後半です。
いよいよ、ますます、マニアックですよん。
ヒマじゃないひとは観ないほうがいいかもです。
 
昨年の11月に、仙台のエルパーク仙台で公演されたものです。
 
今回は、「四匹の黒犬が黙る」という詩です。
この詩は、けんめいに聞いても意味がとれない詩です。
もともと意味がないのですから。
なぜ「四匹」かというと、「四」と「匹」が似ているからです。
なぜ「黒犬が黙る」のかというと、
「黙」という文字は「黒」と「犬」でつくられているからです。
しかも点が4つあるので、「四匹」というわけです。
そんなナンセンスの繰り返しです。
 
【ビデオ()
まずわたしが、詩を棒読みするのですが、
ふたりのスタッフが、同メーカー、同機種の2台のテープレコーダを持ち込んで、
同時に録音をしています。
ふたりの舞踏家は、2m×6mの白いスクリーンに張りついたまま、動きません。
そこに、あらかじめ用意されたテキスト中心の映像が映されます。
それだけです。
 
【ビデオ()
さて。2台のレコーダに録音されたテープは巻き戻されます。
同時に再生を開始します。
会場は完全暗転になります。
暗闇の中で、白いスクリーンだけが青く光っています。
スクリーンには、夜光塗料が塗られていたのです。
ふたりの舞踏家がすこしずつ動きはじめます。
すると、スクリーンには影が残されているのです。
過去の影と、現在の影が、ゆっくりずれていきます。
現在と過去は、暗闇で踊りつづけます。
 
2台のレコーダから流れる2つの声は、すこしずつずれていくのが
わかります。
2台の機械ですら、同じものを聞いてはいないのです。
100人の観客ならば、100の詩を聞いていた。ということになります。
ずれは、どんどん激しくなり、
文字も、ことばも、声も、音も、もう意味をとることは不可能です。
ここにあるのは、詩。だけです。これが、詩。です。
というのがこの、カクテル・ポエムの目論見だったというわけです。
 
家庭用のビデオのため、夜光塗料の光をじゅうぶんに捕えていません。
部屋を暗くしてご覧いただくと、見やすいようです。
 
 
企画・構成=丹野久美子
出演=伊藤文恵、斎木良太
詩=秋亜綺羅
映像=星川律子
制作=劇団I.Q150
 
 
 
 
 
 
カクテル・ポエム「ドリーム・オン」
四匹の黒犬が黙る
秋亜綺羅
 
 
淋しいという文字は木がふたりで住んでいるのにどうして淋しいのか、なんてことじゃなくて、妹とふたりで海で溺れたときの淋しかったことを考えているのだ。ぼくは次の夏、ひとりで溺れて死ぬ気だったとき、弱い者だけが泳ぎの方法を知ればいいのだ、と思った。エイ、ホー。エイ、ホー。エイ、ホー。そういうわけでぼくは泳げるようになったけれど、過去にも未来にもいける泳法なんて未だ知らない。父島、母島、鳥の島。犬のぼくは青空の鳥のように泳ぎ続けるのだが、この程度では、永遠までの遠泳は無理というものだ。あおい空を見上げる。あおい。あおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあおあお必殺マックオペレータは<あ>と<お>を打ち違えないこと。吠えたいくせに犬かきをして四匹の黒犬が黙る。尤も犬も大きくて太い丈夫なペニスは持ち合せていないので、中山峠を越えるともうぼくは六回もセックスはできない。シックス・ナインなのだ。相手は猫でもいいから描いてみる。血で満たされた皿をかぶった河童でもよろしいが、ここは海でしかないので海豚を相手にしたほうが好ましい。相手は手相と書き換えてもこの場合、かまわない。ただし、自分の手相を忘れて相手の手相しか視なくなったタロちゃんという名まえの友だちは、オナニストでしかない。ぼくの初恋のすずめちゃんチロちゃんは舌を切られて死んだ。きみには、自白する自由がある。千口ちゃん。ところでぼくの友だちといったら、ひきこもり中の透明人間くんとか、死んだふりが好きな幽霊くんとか。宇宙人のチカは千人力だ。ぼくは淋しいから、だれかと一緒に溺れたい。夕方の久方ぶりの雨ふり、烏の鳴く鳥の島を過ぎ去っても、未来は未だ来ないまま過去となっていった。過去はカコ、カコ、となく。実際、過去はカエルだった。ぴょんと日付変更線を一旦亘ると一日がやって来る。完壁な璧。ぼくは犬だから漢字を間違えてもだれもとがめてくれない。矛盾という名の武器。逆説法と呼ばれる逆立ち。愛という曖昧な味。アイ・マイ・ミー。雰囲気、零。ぼくの虱は風に飛ばされてトリップ。国家という家に囲まれたぼくはもう囚人ではないか。困ってしまう。原因は、緑の縁側がぼくの国家だという事実ではなく、ぼくが犬だったという真実らしい。ここはどこだ。ここはココア共和国。きょうはここらでココアにしよう。囚われたゴキブリさんたちがみんなで羽ばたけば、既成概念としての家(ゴキブリほいほい)は飛んでいくぞ。問題は、気づくか、傷つくかだ。これはもうまるで詩だな。詩とは言葉の寺と書く。詩人は寺の坊さんなのだ。そのほかのだれも、ぼくの野たれる後ろ姿を監視してはいない。野たれる犬は、犬のことばでいうならば、自由である。あおあおあおあおあお。木、林、淋しい森、妹はいつまでもひとりで立っている。
 
 
   

秋亜綺羅

(1977.06.19)左から寺山修司、清水昶、八木忠栄、秋亜綺羅