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ここは一発! 今日の教訓⑧    ※ココア共和国・家庭班

今日の教訓
04 /30 2009

   
溺れるサルは筆をもつかむ

──溺れる者はわらをもつかむと、猿も木から落ちると、弘法も筆の誤りが混乱しています。まるで、現代社会の
   ようです。鳥かとおもえば、豚かよ、みたいな。

わいせつってなんだろう ■ 秋亜綺羅  ※エッセー

エッセー
04 /27 2009

わいせつってなんだろう   ■ 秋亜綺羅

 タレントの草剛が逮捕された。公園で全裸になったからだ。どこかの出版社と組んでヌード写真集を出せば何億という価値がつくはずの肉体が、街の公園ではわいせつ物として取り扱われたのである。
 「裸だったら何が悪い」と草は警察に語ったそうだが。そうだよ、なにも悪くないよ。記者会見でも言ってほしかったくらいだ。
 ファンのひとたちは怒るよね。大事なひとの体をわいせつだと決めつけられ、そのうえ家宅捜索である。いくらファンといっても、裸を見たくたって見れないし、家にだって入れないんだぞ。
 スケジュールいっぱいの草に集う仕事上のひとたちにとっては、何億という損害になったはずだ。一般人が酔って脱いだのなら、醒めるまで警察署に寝せて帰されるのだろうけれども、なにしろ世界的なタレントである。このことを大事件として扱うことで、ギャラを1円も払う必要もなく大儲けすることになった業界もある。それに乗せられてか、政治家までがこっけいなコメントを出したりした。警察も、騒ぐマスコミにびっくりしてか大事件だと勘違いした。こんな事件で家宅捜索なんて、憲法違反だろうと思う。そうやって、お金を奪い合う資本主義ゲームは続いていくのだった。

 で、わいせつとはなんだろう。と考える。裁判になってしまえば、陰部を露出したかとか、ひとの性欲をいたずらに刺激したかとかが問題になるのだろうと思う。けれども法律(判例)の世界では、たとえば浮気といえは、配偶者以外の異性と性器をインサートすることである。心の問題はほとんど無視されてしまう。だがこの種の問題は心がいちばん肝心であることを、だれもが知っている。
 で、わいせつとはなんだろう。と考える。恥ずかしいことをひとに見せることだろうか。それとも、ひとが不快と感じるものを見せつけることだろうか。
 けれども、とまた考える。むき出しの刃物を怖いと思うことはあるが、醜いと感じるわけではない。夜の公園を歩く女性にとって、男の裸は怖いものであって、わいせつなものじゃないんじゃないか。まして男が、女の裸をわいせつと感じることはもっと稀かもしれない。
 それでは、と考える。見た人が恥ずかしいと感じるものを、わいせつというのかもしれないな、と。すると、恥ずかしいものとはなんだろう、ということになる。
 裸が恥ずかしいよ~といって生まれてくる赤ちゃんは世界にいない。おなかがすく、
寒い、痛い、熱い、さみしい、いやだ、うれしい…赤ちゃんはほとんどの感覚をもって誕生するのだけれど、恥ずかしいだけはないのである。
 待てよ、と考える。恥ずかしいという感覚は動物のなかでも、人間にしかないんじゃないだろうか。待てよ、恥ずかしいという感覚はまったく、ひとそれぞれのものではないのだろうか。いや待てよ、恥ずかしいというのは「感覚」ではなく、人間がつくり出した「文化」ではないのか。家庭や社会、宗教などから教育された「美学」なのではないか。
 1970年代の前衛劇には全裸がかならず登場したし、ストリーキングと称して街を全裸で走り抜けた。自分がいちばん恥ずかしいと思うことをすること、親に見せることができるような演劇はするな、とばかり「体制」と闘った。すこしこじつければ、これも大人におしつけられた「美学」への反抗だった。

 さて、わいせつとは、望んでいないものを見せつけられることだ、ともいえるだろうか。だが現代の生活そのものが、実は望んでいないもののかたまりであるといえなくもない。たとえばすぐれたTVコマーシャルとは、見ようとしていないひとを思わず振り向かせる。なんでもない音楽でも、何度も聞かせることで好きにさせる。食べようと思っていないひとにまで唾液を誘う。そんなコピーや映像を競ってつくっている。外に出れば、ビルの壁いっぱいにかけられた新築マンションの看板、歩行者を次々と追い抜いていく自動車の排気音、店頭から切れ目なく流れる騒音のような音楽。現代の街はといったら、わいせつがいっぱいなのだ。

 わたしはいま小学生のころのことを思い出している。50年もまえのことだけれど。ある日、小学校に偉い先生がいらっしゃって講演をされる。静かに聴くように、と講堂に全校生徒が集められたのだった。それがなんという先生で、なんのお話をされたのかはほとんど覚えていない。覚えているのはとてもよぼよぼのおじいさんだったこと。静かにぼそぼそとゆっくり話されるのだが、尊敬に値するひとだなと、自然に感じられたことである。
 その先生の講演が終わって、さあ先生がお帰りになるのでみんなでお見送りをしましょう、ということになった。全生徒1000人弱のこどもたちが全員、正面玄関につながる道路の両側にならんで、先生を拍手で待っていた。先生はあまり身なりも立派とはいえず、歩き方もちょっと冴えない。先生は生徒の拍手のなかをすこしずつ歩いて来た。
 その時、あれ。先生は横道にそれて立ち止まった。すると、みんなが見ているまえで、立ち小便をはじめたのだった。お年寄りのせいか、長い時間おしっこをしていたような気がする。終わると先生はなにごともなかったかのように、また生徒のなかを歩きはじめた。止まっていた拍手も、また鳴りはじめていた。
 わたしはこのとき、この先生ってほんとに偉いひとなんだなぁ。と心から、いや体の奥からぞくぞくっと感じたのだった。
 この出来事のどこかに、わいせつといえるものがあっただろうか。

ここは一発! 今日の教訓⑦  ※ココア共和国・家庭班

今日の教訓
04 /23 2009

   
9回裏ツーアウト一打逆転。ケンセーアウト!

──人生とはあっけないものです。

よくわかる(かもしれない)税金の話①  ※ココア共和国大統領談話

ココア共和国
04 /20 2009

 国民のみなさん、お元気でしょうか。きょうはココア共和国の消費税について解説いたします。納得できない方はご意見をください。いろいろな意見を戦わせましょう。みんなで悩みながら、みんなのために何ができるだろう、というのが税金の趣旨なのですから…。納税の「納」は納得の「納」、なんちゃって…。そして国民にとって納税は、納得の「得」でなければなりません。


ココア共和国の消費税は高いぞ
                   ※ココア共和国大統領

 ココア共和国の消費税は、「基本的人権税」といいます。現在、税率は38%です。世界のなかでもかなり高率です。年金と、健康保険料はありません。消費税で賄います。
 ほんとうは50%にしたいのです。なぜならみなさんが買物をするとき、半分は自分のため、もう半分はみんなのため。という気持ちになってもらえるからです。しかし、必要以上の税金を集めることは、政府による国民に対する背信罪になります。
 国家というのは、国民が集まって形成されています。しかし国家そのものが目的で国民が集まったわけではありません。複数の、多数のひとが集まったほうがより生活しやすいことがある。その部分にみんなで知恵とお金を出し合おう、と…。それを、国家と呼ぼう、と。国家は国民一人ひとりにとって、もうひとつの「家」なのです。
 その、もうひとつの「家」にもお金が必要です。
 国家が国民に保障する基本的人権を実行するために、消費税はあります。それは基本的人権以外に使用することは許されないし、また基本的人権を完全に保障しなければなりません。
 基本的人権とは何か、を整理していけばよいわけです。

1 全国民ひとりにつき80,000円を毎月支払います。
  富裕、貧困、年齢にかかわらず、です。
  ココア共和国もいちおう資本主義です。全国民で資本主義ゲームを行うには、平
 等にチップを渡す必要があります。トランプのポーカーだって、チップを1枚も持た
 ないひととゲームをしてもつまらないものです。
  「働きもしないやつに金を払うのか」という意見があります。でもこれは労働対価で
 はありません。税金の還元、です。
  100年に1度のなんとかで、世界の国々は、国民にどうやって金を渡すかばかり
 考えています。そんな金があるのなら最初から国民に渡しなさい、そしたらこんなこ
 とにならなかったでしょ。というわけです。
  1か月80,000円はけっして大きい金額ではありません。しかしほかに収入がなく
 ても、飢え死にするというほどの金額でもありません。
  つまり、若者が起業したり、貧乏覚悟で作家をめざしてみたり、と自分の意志で冒
 険ができます。失敗してもそこは地獄じゃないよ、と。
  将来に不安がなくなれば、一般のひとたちも思い切って買物ができます。老後の
 ための貯蓄などしなくても、いいのです。世界経済の安定化はここからしか始まりま
 せん。
2 誕生から育児に関することは国家の責任です。全額国家負担です。
  妊婦の方の病院代など、妊婦に負担をさせないようにします。お産のとき救急車
 をタクシーがわりに使う妊婦がいる、などと非難される国もあるようですが、わがコ
 コア共和国では、妊婦の方には救急車をふだんからタクシーとして使える権利が与
 えられます。
  また、こどもが1人増えれば80,000円の支給が増えるわけですから、少子化の
 歯止めにも役立つかもしれません。
3 こどもの教育は、全額国家負担です。
  こどもの教育は国家の責任です。給食費なども、もちろんです。
  J国などでは、給食費を払わない親がいる、などと問題にしたりしていますが、払
 わない立場の理屈もわからないわけではありません。J国の年金制度は、労働者
 が老齢者を養うというかたちだからです。お金をかけて一生懸命自分のこどもの成
 長に力を注いでも、そのこどもが大きくなれば、こどものいない老齢者の面倒まで
 みる、という構図です。つまりいまのJ国ではこどものいる親が、自分のこどもばか
 りでなく、こどものいないおとなの面倒までみている、ということになります。これで
 は少子化はとまりません。こどもをつくることがどんなに損なことか。そんなばかな、
 給食費ぐらいはこどものいないやつらが払え、ってわけです。
4 病気、怪我の治療は全額国家負担です。
  これができなきゃ、みんなでお金を出し合って国をやっている意味がありません、
 よね。
  これも老後の心配を軽減するので、世界経済の安定に寄与します。
5 介護は、全額国家負担です。
  もちろんです。
6 災害の被害、犯罪の被害賠償は全額国家負担です。
  税金というのは、国民みんなが参加する保険でもあります。自分に責任がなく不
 幸に遭われた人を助けあうのが、税金です。

 これで資本主義なのか、というひとがいます。高度に進化した資本主義は、いままでだれも経験したことがない、あらたな共産社会になっていくかもしれないことを否定しません。
 問題なのは、国民一人ひとりの意思で国家が作りあげられているかどうか、ということです。これは、現在の世界じゅうの資本主義国家にも問われることです。


なぜ消費税なのか

 わたしは初め、消費税は貧富の差を拡大する不公平な税金かな、と考えていました。
 食料品や生活用品などは、貧しい人も金持ちも絶対に必要なものだから、貧しいひとの負担の割合が大きくなる、という考えです。
 しかし、金持ちがお金を使わずに生活するのは勝手ですが、お金を使わなければ貧しいひとと生活はなにも変わらないのです。お金を使って初めて金持ちは金持ちなのだし、お金持ちの気分にもなれるわけです。消費をしないケチな金持ちも確かにいるとは思いますが、それは貧しい人たちの仲間~、ということで…。
 J国のように、自動車を買う時にお金が補助されたり、お家をおとうさんに買ってもらおうかな~と思うと減税されたりと、これって最低の最悪です。これこそ、貧しいと自覚して倹約を試みるひとたちを踏みつぶす政策です。だってこのお金持ちたちの買物に、貧しい人たちが納めた血税をも使われるわけですから…。それと比べたら、消費税はずっと健全で平等なものだと思います。
 それから大事なことですが、世界の消費税の趨勢は、食料品などの税率を下げたり、廃止したりのようです。が、ココア共和国は、食料品からも確実に消費税を徴収します。逆の方向で考えればわかることです。ひとは食べなければ生きていけない。だからどんなに不景気になっても食料品の消費だけは極端には減少しない。だからこそ消費税の税収は安定し、国民の生活と人権は守られる。という図式です。
 ひとが生きていくのにもっとも大事なところに税金をしっかりかける。だからこそ、もっとも大事なものを守ることができる。それが消費税です。みんなで我慢しあうのも税金というわけです。
 そして、努力して倹約すればするほど「得」になります。倹約すればもちろん消費税の納税も少なくなります。それでも国民の人権は、全員平等に保障されます。
 とにかく、倹約することがあらゆる「得」になるという仕組みを作ることです。倹約はもちろん、地球の温暖化を緩めることにもなります。どうして世界の政治家や経済学者たちは経済危機を乗り切る口実で、国民に浪費をすすめるのでしょう。ハイブリットだろうと、LEDだろうと、使わないですむほうがもっともエコなわけです。世界の消費量を減らすことを、原点から考え直すべきです。

 長くなってごめんなさい。それではみなさん、さようなら。

ここは一発! 今日の教訓⑥  ※ココア共和国・家庭班

今日の教訓
04 /17 2009

   
穴があったら出てみたい

──穴があったらそこは入口ではなく、出口かもしれない。
   そこは現代社会の非常口かもしれないし、人間動物園から脱獄できる扉かもしれない。
   小さい子どもがダンボールの箱や穴を好むのも、閉じこもりたいわけではなく、どこかに出発したいからなの
   かもしれません。こじつけ。

ここは一発! 今日の教訓⑤  ※ココア共和国・家庭班

今日の教訓
04 /14 2009

   
なにが自由だ。クロールだ。

──水泳です。水泳の世界には「自由」にすら「自由形」という形があります。
   よくわからないけれど、思い知らされます。

山本山さんはむかしママゴトをした ■ 秋亜綺羅  ※詩

04 /11 2009

イメージ 1

               家出して来た腕時計



山本山さんはむかしママゴトをした ■ 秋亜綺羅

裏に住む山本山さんは、左から読んでも山本山、右から読んでも山本山、
裏から読んでも山本山さん、というわけだ。
しんしん雪が、山本山さんの家の屋根で白い舌を出して、手紙を書いていた。
そんな寒い日には、暖炉のそばのネコに、家族みんなであたったものだ。
ネコはサンマに恋をしていて、魚も喉を通らないほどだった。
さて、お腹がすいた山本山さんは、テレビばかり嚙っていた。
で、それでは仕事にならないので、仕事に出かけることにした。
山本山さんの仕事は、テレビのセールス。
人間は仕事がいちばん。仕事のためなら、好きなテレビもがまんする。
山本山さんの仕事は、テレビのセールス。
テレビを見るやつ、ばかなやつ。
テレビを売るやつ、働きもの。
鳥は鳥のように飛び、鳥のように眠る。
山本山さんは、テレビのセールスマンのように、人間だ。
セールスでまず重要なのは訪問である。
訪れるひとが多くなれば、当然だが、訪れられるひとも多くなる。
だからひとは増えるいっぽうで人口問題が問題になるのは時間の問題である。
人口問題を騒ぐひとが多くなりすぎると、人口問題に影響する。
時間銀行では、時間の利息を計算する時間もないほどだ。
銀行強盗は、時間を盗むのにもうすこし時間をかせぐ必要があった。
強盗が持っていた暗号から意味を消していくと、数字が残った。
意味のない暗号なんて、もう暗号の意味はない。
考古学では、こういったものは、詩と呼ぶしかない。
意味がないといえば、飲酒も、音楽も、睡眠もそうだ。
4がよっつ。
その、残された数字こそが、キーナンバーだった。
サイコロをふると、4ばかり出る日だった。
4月4日、4人の銀行強盗は正確に4時、舌を出して、時間泥棒に成功した。
そのとき、山本山さんの未来も盗まれた。
裏から読んでも、未来。
未来が盗まれると、過去も舌を出して、雪のようにとけていった。
過去はカコ、カコと鳴く。過去はカエルだった。
山本山さんの腕時計は家出をして、世界最先端のYAHOO!ブログに登場した。
山本山さんのおじいさんの家の柱時計は、「最近の若いモンは、
どうにもボーン、ボーン」となげいては、貧乏ゆすりするのだった。
過去も、未来も、腕時計さえも失った山本山さんの心に、風が吹いた。
風が吹いたのでオケ屋は吹き飛んだ。
結局、オケ屋は災害保険でもうかった。
風は、口笛を吹きながら考えた。ひとにはどうして人生なんてあるんだろうね。
出発するため? 到着するため? それとも乗り換えるため?
そう唄いながら風はプラットホームを、あ、踊り抜けた。
風の吹かない日に日なたぼっこをするのは人間だけである。
ネコは風といっしょに日なたぼっこをする。
風とネコが手をつなぐとき、風は吹かないし、ネコはツメを立てない。
ネコがまばたきすれば季節が変わる。
人間みたいに人生を背負ったりしなくても、風は、昼も夜も口笛を吹く。
昼働いて夜眠ることのできるひとは、死んで幽霊になれるひとだ。
幽霊というのはほんとうは夜、眠っているものなのだ。
幽霊に会ったなどというのは、夜眠られないひとたちの、嘘に決まっている。
ぐっすり眠っている幽霊を見た、というのならばともかく。
では昼の幽霊はといったら、かくれんぼして遊んでばかり。
鏡のなかにかくれんぼしたオニは、鏡に映らない。
鏡は、現実を左右反対にしてしまうのに、逆立ちはニガテらしい。
現実を映しつづけるのだから、鏡にはヒマがない。
ヒマのない現実だから。
命をムダにしないということは若さを惜しまないことだ、とだれかが遺書した。
自分の匂いがおもいっきり染みるまで一着の服を着替えない。
そんな日数を着たくなる。
経験とはとても大切なことだ。おとなはむかし、こどもを経験した。
山本山さんはむかしママゴトをした。
山本山さんはテレビを売っている。
山本山さんはむかしママゴトをした。
山本山さんはテレビを売っている。
山本山さんはテレビを売っている。
山本山さんはむかしママゴトをした。
山本山さんはテレビを売っている。
山本山さんはテレビを売っている。
山本山さんはテレビを売っている。
書いているところを、ネコのスパイに見られたので、
この詩は破り捨てた。
山本山さんは裏返しても、山本山さんだ。

ここは一発! 今日の教訓④  ※ココア共和国・家庭班

今日の教訓
04 /09 2009

   
あきらめる あきらめない あきらめる あきらめない あきらめる あきらめない すぐあきらめる

──初めっからあきらめればいいものを…。それにしても教訓などどこにあるのでしょう、われながら…。
   根性がないほうがいいこともある。
   早くもネタ切れの予感が…。

ココア共和国では殺人事件の時効は2年です  ※ココア共和国

ココア共和国
04 /06 2009

 おはやうございます。ここはココア放送局です。聞こえますか。あなたの脳髄とわたしの脳髄が、透明な糸でつながっています。見えない糸電話放送でお送りしています。聞こえますか。
 本日はJ国などで話題になっています刑事事件の「時効」についてです。


ココア共和国では殺人事件の時効は2年です
                  ※ココア放送局ニュース

 J国では殺人事件の時効が問題になっています。被害者家族の多くが、時効の廃止を要望していると聞いています。
 J国は時効のメリットとして、むだな税金を使わないですむとか、被害者家族の無念をいたずらに引き延ばさない、などと言っています。
 わがココア共和国では、殺人事件の時効は2年です。わたしたちの考え方は以下のとおりです。
 国家というのは国民の集まりです。お互いが税金を出し合いながら、生活の安心、安全や、教育、医療などを共同で実行するシステムです。
 ですから、殺人事件が起きれば被害者に対しての責任は国家にあります。つまり事件を解決する義務が、国家にはあります。しかしすぐに解決できない場合もあり、被害者家族に対し、2年以内には解決するので申しわけないが待ってほしい、というのが、時効というものの定義です。
 警察は2年という期限の中で犯人を検挙しなければなりません。警察官はお互いに競争しあいながら犯人を捜し出します。2年という約束が果たされなかった場合は、
国は被害者に賠償金を支払うことになります。もちろんそれで、被害者が救われるというわけではありません。しかし、責任ある期限を設けることで、国家として、国民に対する義務を果たせるのです。
 いまココア共和国では、時効をなくすどころか、もっと短くしろ、という声が強くなっています。
 それからJ国では、時効は捜査の打ち切り、犯人の逮捕権の喪失を意味するようですが、それでは国家とはもう言えません。反国家的行為をした者を逮捕できない国家、時間が経過すれば事実も事実でなかったことにする国家、とても国家ではありません。歴史の教科書にも時効をもうけて、そんな事実はもうないよ。そんなことをしたら国家じゃないですよね。
 ココア共和国では、何十年後に新事実が出てこようと、何百年、何千年後だろうと、事実は事実です。事実解明、解決、そして記録の積み重ねが文明と文化を作ってきたわけですから…。そういう意味でいうならば、J国でいうような時効は、わがココア共和国には永遠にありえません。
 J国的な価値観のなかで時効が廃止になった場合、無期になることで、捜査の希薄化も心配されます。時効とは、被害者家族に対し、国家の責任が決定する日をいわなければなりません。もちろん、犯人追及の義務は、永遠に残ります。義務です。

ここは一発! 今日の教訓③  ※ココア共和国・家庭班

今日の教訓
04 /04 2009

   
来るものは追わず、去るものも追わず。

──ココア共和国に昔からある格言です。北朝鮮による飛翔体に対する、J国防衛軍と政府の心境(本音)か
  も…。税金で買っちゃった迎撃ミサイルを使わない、とは言えないし。迎撃に失敗すれば税金の無駄づかい、
  と言われるし。うまく当たっちゃったら、破片のことまで考えろ、と怒られるし。

秋亜綺羅

(1977.06.19)左から寺山修司、清水昶、八木忠栄、秋亜綺羅