fc2ブログ

ちょっとお休み、ね。のおしらせ

おしらせ
05 /12 2009

こんにちは。ココア共和国大統領こと秋亜綺羅です。
いつも遊んでいただいてありがとうございます。
ところで、わたしのことですが、少しばかり欲張りすぎて
9月までに大きな企画を8つほど抱えてしまいました。
若い時は仕事が多ければ多いほど、大きければ大きいほど
張り切って走り回ったのですけれど…。
さすが歳です、だめだこりゃ状態です。
というわけで、しばらくブログの更新をお休みします。

コメントはいただければ、お返事くらいできると思います。

「友だち」と「お気に入り」に登録していただいている方々には、
勝手にお邪魔したりしますので、よろしくです。

10月初めには、新台入替、新装開店しますので、また遊んでください。


                                                               2009.05.12
                                                               秋亜綺羅

おもひでぽりぽり① 詩誌「Off*Off*tOkyO!」    ■ 秋亜綺羅 

おもひでぽりぽり
05 /11 2009

イメージ 1

   Off*Off*tOkyO! nO.001 1977年6月
   詩の理論と方法論の実験誌



 こんにちは。秋亜綺羅です。
 詩の朗読を企画をするので、資料になるものはないかと、押入れの引き出しなど開けていると、古いものがいろいろと出てきます。
 ちょっと懐かしくて、ちょっと記念になるかなと思われるものを掲載しちゃいます。
 詩に興味のない方にはごめんなさい。ブログにしまっておけば、わたし自身の記録としても、好きな時にとり出せる気がするので。
 はずかしくて思わず頭(恥)を掻きたくなるものばかりなので、コーナー名は「おもひでぽりぽり」。なんかセンスのかけらもないコーナー名ですが、はじまりで~す。


詩誌「Off*Off*tOkyO!」創刊号

 1977年6月発行になっているので、わたしが26歳。当時東京で、新井弘泰と組んで、毎月詩の朗読会をしていました。活字はレコード(記録)にすぎない。詩をつくる現場は朗読だ、とか言っていたわけです。その理論と方法論の実験誌として発行したのが、この同人誌です。B5版36ページ、ザラ紙にタイプ印刷されたとても薄い雑誌です。編集人は秋亜綺羅。同人は5人。いま劇団月蝕歌劇団の主宰者・高取英もいました。発行所は、ぱあぷる・ふいるむ社。ピンクフィルムとブルーフィルムのあいの子といった意味です。表紙は安西水丸さん。真夜中、安西さんのマンションに酒をもって押しかけ、その場で書いてもらったものでした。
 さて、創刊号には「誌上アンケート」というのがあって、懐かしい方々に応じていただいているので、いくつか紹介したいと思います。

【質問】 あなたはご自分をあえて分析なさるならば、「あいうえお型」でしょうか。それとも「いろはにほへと型」でしょうか。できたらその理由も述べてください。ついでながら、近況などお知らせください。

大和和紀
いろはにほへと型です。
あいうえお型は素直な感じ。私は、ややななめな感じで、いろはにほへと型ですね。
毎日万歳といいながら、喜んで暮しています。(電話にて)

寺山修司
(1) いろはにほへと型
(2) 近況
 五月に撮る実験映画の準備、現代日本美術展(毎日)の審査、地下演劇十二号の編集、作歌、天井桟敷新研究生のワークショップ。
 執筆は「演劇は社会科学を挑発する」(現代思潮)他、座談は高松次郎らと「ル・クレジオ」(現代詩手帖)。四月第三週の仕事です。

安西 均
 そういう分析法があることを知りませんが、わたくしなりに解しますと、たぶん両者の混合型ではないかと思います。五十音型は表音の合理的処理、いろは型は歌謡性。
 わたくしはどちらも好きです。
 なお、お伝えするほどの近況とてございませんが、「赤旗」に週二回連載の「詩への招待」、最終二十一回めを送稿してほっとしたところです。エッセーにさしえをというのは、わたくしの提案でしたが、箕田源二郎氏の絵がすてきでした。

吉原幸子
 感性的には〈色は匂へど〉なのに残念ながら理がかって〈あいうえお〉です。母音と子音、という風にすぐ考えてしまうのです。日本語にvのような美しい子音がないのは困ったことです。濁音を濁というイメージで見るのは〈あいうえお〉の生んだ差別でしょうか。jも濁音だけれど美しいひびきです。ガ(nga)というべきところをガ(ga)という若い人が多く、顔をしかめています。
 近況……お酒に弱くなりました。寄る年波。思潮社よりエッセイ集「花を食べる」刊。

荒川洋治
・ 〈あいうえお型〉を目指しているところです。
・ 自分のなかにがんこな雅語勢力があり、なかなか消せません。こまっています。清水哲男さんのような、にがみばしった〈あいうえお型〉になりたいのですが。自分の体質を考えると、これは当分夢かもしれません。

鍵谷幸信
 ぼくは昭和5年生れだから、小学校では「あいうえお」タイプで習った。だから世代的には全く「あいうえお」なんだが、「いろは」の方も何かと世話になっている。
 教育的見地から「いろは」からどうして「あいうえお」に変ったのかその理由がよくわからない。丁度戦前派と戦中派の間にサンドイッチになったようで、この二つの型に今でもはさまれたままである。自己分析してみてもよくわからない。「あいうえお」でなくてはならぬ必然性はぼくの場合ない。女の子などはやはり「いろは」でいった方がいい。ひょっとするとホルモンと関係があるかもしれない。

三嶋典東
☆〈いろはにほへと〉型。首都圏突入時に方言を苦しむ小史より……か。しかしコーヒーブレイク……などとラジオから女性アナの声で流れてくる片カナにどきんとすることがある。〈アイウエオ〉型があったら文句なしにそれを選んだことでしょう。

慶光院芙沙子
 ケイコオインさんは「いろはにほへと」型。なぜなら……犬も歩けば棒にあたる……論よりしょうこ。なんていろはガルタがケイコオインさんの後で手をふるからです。こうして私はムジュンする世代を生きぬいてきたというわけ。
※ともかく(ガンバッテクダサイ)
(近況、今メイソウ神経の病気でねてます。時々はじまるのです。)

花田英三
 アイウエオ世代に属します。碁盤の目のように整然としており、その中にヰヱヲなど何やら複雑なものも入っていて、(複雑なものがもっと入っていればもっと面白かったでしょう)「いろは」に比べて明るい感じでした。モノクロ・紺がすり・婦人病から→桜カラー・白カラーの洋服・大東亜行進曲─「アイウエオ」「いろは」以外にないのですか。

ここは一発! 今日の教訓⑨      ※ココア共和国・家庭班

今日の教訓
05 /09 2009

   
夫殺しの真犯人は妻に違いない

──これ以上の意味は別にないです。登り坂は下れないのです。
   別にー。と言われそう。

渋谷地下街ブルース   ■ 秋亜綺羅     ※詩

05 /04 2009

イメージ 1

   
     ≪ごめんなさい。この画像は詩の途中に出てくるはずのものですが、
       本文中に挿入する方法を知りません。──秋亜綺羅≫



 こんにちは。秋亜綺羅です。
 今回はわたしが高校3年生のときに書いた詩、です。寺山修司との出会いになった詩でもあります。
 40年もまえ、高校生のわたしはバスケットボール部に所属していました。文学とはほど遠く、というより嫌いでした。それはいまもそうです、たぶん。
 同じクラスの文芸部の友人が自分の詩を見せてくれたことがあったのです。わたしは「なにこれ。こんなんだったらいつでも書けるじゃん」。「そんなら書いてみろよ」ということになっちゃいまして…。
 で、この詩を書いたのですが、「こんなふざけたもん詩じゃねえよ」。
 そうかなあ。けっこうマジだったんだけど…。
 というわけで、当時高校で卒業記念誌のための文芸作品を募集していたので、「わーい。応募しちゃお~っと」といった調子で…。でも、ボツでした。選者は文芸部の顧問の国語の先生でした。
 ギぇー、だめかよ。このままゴミ箱に捨てるのももったいないしー、とか思って「高3コース」に応募しちゃおー、というわけで、この運命の「詩」はゴミ箱ではなく、赤いポストに捨てられることになったのでした。
 「高3コース」というのはむかし学習研究社から出ていた、月刊の受験雑誌です。そのあと「大学受験コース」と誌名が変わり、現在は廃刊されたそうです。
 「高3コース」には文芸のページがあり、読者の高校生から詩とか俳句とか短歌などを募集していたのです。で…。わたしのこの詩は、特選になりました。その選者が、寺山修司だったというわけです。
 このあと3回ほど投稿しましたが、すべて特選でした。まえに紹介した「百行書きたい」もそのひとつです。この誌面で寺山さんは、DJ感覚というか、ブログ感覚というか、リアルタイムに高校生たちに語りかけてきました。自分の劇団の話も書かれていました。「秋亜綺羅も遊びに来たよ」とか書いてくれました。わたしの住所まで載せたので、わたしには1か月に600通を超える手紙が来たこともあります。「仙台市秋亜綺羅様」で、郵便が届いたくらいでした。
 わたしが投稿したなかのひとつに「海!ひっくり返れ!おきあがりこぼし!」というものがあります。この詩を「現代詩手帖」という詩の専門誌に、年間代表作品として寺山さんが紹介してくれたのでした。おかげで大学に入学して文芸部を覗くと、先輩たちがみんなわたしのことを知っていました。
 さて今回の「渋谷地下街ブルース」は当時、「詩学」という詩の専門誌や、現在詩壇で活躍している日原正彦がやっていたガリ版刷りの詩誌「表現人」などにも掲載され、話題になった記憶があります。落書きにしか見えない詩ですが、わたしにとっては、記念碑ともいえるものです。
 5月4日は寺山さんの命日です。更新は間に合ったようです。


渋谷地下街ブルース  ■ 秋亜綺羅

ぼくが想い出すのはいつもいつも
十年先のことだった

むかし、渋谷の街に朝はなかった
防空壕みたいに窮屈な地下街が
安全保障付き冷房になってから
可愛い笑くぼの少女が住みついて
渋谷にも初めて
朝が来ることになったのだ

丸顔でちょっぴりそばかすの
白のワンピース着けて、ショート・カット!
ルーテル教会横の公衆電話ボックスに
例の徴兵カードを貼った



   ≪ここにいちばん上の画像が入ります≫



その日のぼくはといったら
買いたての〈幸福論〉を見せびらかすために
渋谷まで出かけてって
引っかかったわけで
司令部へのダイヤルをまわして
西口の公衆便所には紙があるかどうか尋ねて
そこで落ちあってしまうわけだけれど──

〈いくらくれるの?〉
〈ええと、これだけ……であります〉
ぼくの精一杯出した三本の指を見もしないで少女は
突然に奇声で叫んだ
らいいのにその晩をぼくと過ごして
血まなこになってぼくを黙らせて
手足を泥んこにしてぼくのあれを見つめた
らいいのに言葉の割れ目谷底から少女は
刃渡り21世紀のどす黒い短刀(ドス)を引き抜いて
白壁に落書きされた女の性器に突き刺して
〈あたし16、あんたは?〉
〈じぶんは、58…キロであります〉
〈欲しいい?〉
〈たすと74…であります〉
〈あたしね、利息だけの生活が夢なのよ〉
〈それでは、75?〉
こんな疑惑(対話)があって
不思議に少女とぼくは全く重なっていた
らいいのにぼくの尻穴のポケットから
ありったけの3千5円を出して
せいぜい恥毛を買うことを決意したら
少女の名まえはユキだった

ユキは商売あとにコーヒーを注いでくれて
明日という字は明るい日と書くのね
なんてずいぶん古い歌を何べんもうたって
ぼくはお代わりをしたかったけど
舌がとろけるような旋律がやむと
真っ暗な朝がやって来て
(別れるときが来たんだ)
丸顔のちょっぴりそばかすユキは
ぼくの尻をやさしく開いて
〈お金ないんでしょ?〉と接吻しながら
3千円を返してくれた

可愛い笑くぼ売春ユキが住みついて
そしてぼくが奪われて
渋谷の街に朝が来た

で 安保粉砕! 打倒米帝! 沖縄のために!
で テレビはセクシーになった
で 受験生は辞書捨てた
で ひとり死んでひとり生れた
で 文学少年は朝刊を買った
で 人妻はプラットホームで泣き伏した

けれどマンホール工事をながめながら
きょうもアナタだけを待っている
ユキのあの清純な胸には
明るい明るい朝が透けていて

ユキは5円の利息で何を買った?!

渋谷の街に朝が来て
(ぶるうすだぶるうすなんだ)
十年先のぼくが在て
瞬間とはこんなに長いものなのだ

秋亜綺羅

(1977.06.19)左から寺山修司、清水昶、八木忠栄、秋亜綺羅