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マミさんへ                             ■ 秋亜綺羅

詩ってなんだろう
07 /19 2009

 こんにちは。亡命中の秋亜綺羅です。
 Yahoo!ブログでの友だちであり、大好きな詩人であるマミさんが「宇宙の旅人」というブログで、「詩」についてつぎのように書いています。
 
 
「詩とは何か」

詩を読者の共感を得られるような段階に進むことが
今後の私の詩に関する課題であると…
それが「普遍性」であると
そういう指摘を受けて…

今のままだと、私の一方的な表現で
読者は、ふっと引いてしまう
そこが、アマチュアとプロの違いなんだと…

私は素直に聞いていたけれど
実は全然納得などしていない

私は読者に媚びる気などないし
「普遍性」などいらない
読者が私の書くものを読んで引くなら引けばいい
共感など必要ないのだ

私は破壊者なのだ
これまでの常識や社会通念や価値感や
そんなもので判断されたくない

詩とは…
私の意見ではあるけど
純粋に個人的なものなのだ
主義主張などない
そんなものは反吐がでる

それは
ただ
新しく
生まれたもの

それだけなのだ


マミ
http://blogs.yahoo.co.jp/hibikimami


というものです。勝手に全文引用させてもらいました。マミさん、ごめんなさい。
 はじめ「コメント」欄に意見を書こうと思ったのだけれど、字数に限度があるみたいなので、わたしのこのブログで書かせてもらいます。



マミさんへ                  秋亜綺羅

 まず、マミさんがすこしばかり「詩」を悩んだ、ということ。悩みなんてまるでないような、軽いリズムで、飛び跳ねるような詩を書いているマミさんが悩んだ! ちょっとかわいい、ね。

 前衛とか、アンダーグラウンドとか語られなくなったいま、わたしよりずっと若いマミさんが、こんな意見にたどり着いたことに感激します。
 わたしが若かった(?)70年ごろ、「1万人のひとに読まれる詩と、たった1人のひとに感動される詩とではどちらを書くべきか」なんて議論がありました。だけどその時、「読者は1人もいりません」というのがわたしの意見でした。
 詩でも小説でも、読者のために書いているわけではありません。演劇だろうと音楽だろうと、観客のためにやっているのではありません。
 自分が、さっきまでと違う自分をつくる。そのために今あるものを壊して、さっきまでの自分と闘う。そのすさまじさに、他人が感動することがある、というだけのことです。

 それと、国語の教育を受けているために勘違いしちゃうのだけれど、「ことば」は伝達の道具ではありません。自分が考えるために「ことば」はある、と思いませんか?
 生まれて気がつくとたった1人で無人島にいたとします。1人ですから伝達する相手はいないけれど、「ことば」を発明していくことになるでしょう。「ことば」がないと自分の考えが整理しにくいからです。
 ところが、考えるための「ことば」が、実は他人への伝達にとても便利だ、と気づくのです。恋人どうしが手を握って見つめあうだけのテレパシーよりも、右だ左だ明日だ昨日だと細かい指示ができる「ことば」のほうが便利だと思い込むのです。そうやって、人類はたくさんの本能や、テレパシーを失くしてしまった、というのがわたしの考えです。
 わたしにとっての詩は、人類から本能やテレパシーを奪った「ことば」を逮捕することです。「詩」とは言葉の寺と書きます。「ことば」を葬る場所を「詩」というのかもしれません。

 「観客からお金をもらうのだから、観客を喜ばせるために演劇をやる」…これって商売の世界ですよ、ね。商売がけっして悪いわけじゃない。私たちがふだん生活でしていることがこれです。≪仕事≫をしてお客さんに喜んでもらう。喜んでもらうとうれしい。しかも喜びの代償としてお金をもらい、生活が成立する。…これがわたしたちの日常です、よね。
 だけれど待って!、と考える。わたしはよりよい日常のために詩を書いたり、演劇をしたりするわけじゃないよ、と。詩を書く時ぐらい、純粋に自分自身のための時間にさせてよ。商売は日常の生活でがんばるからさ、というわけです。

 では、アマチュアとプロの違い、ってなんだろう。と考えます。読者からお金をもらって生活するのがプロでしょうか。それではプロといっても商売の世界です。小説家のなかにも、演劇人のなかにもそういう商売のプロが存在することは認めます。それはそれで、国民へのサービス業をしているわけですから、大事な≪仕事≫だとは思います。

 では、プロってなんだろう。たとえば絵画は絵の具≪で≫絵≪を≫描きます。楽器≪で≫音楽≪を≫演奏します。ことば≪で≫詩≪を≫書きます。だけどプロの詩人というのは、ことば≪で≫で詩≪を≫ではなく、詩≪で≫自分の観念を書くひとだと、わたしは考えています。≪を≫を≪で≫に変えることができるひとがプロだ、と思うわけです。

 普遍≪性≫とか観念≪的≫とか、≪性≫とか≪的≫はいりません。

 マミさんは「破壊者なのだ」というけれど、まだまだ足りないと思う。ついさっきまでの自分さえも破壊しなければ! 詩の1行前を破壊してから、次の行に進まなければ! そして自分より大きいものを壊しつづけなければ、新しく生まれるものも小さくなってしまう。

 読者に共感などされない詩をわたしはめざします。世界で1番の数学者の数式は、2番めの数学者には理解できないでしょう。世界で1番の詩人はだれにも理解されず孤独でしょう。そして詩を書くのは、人間が「孤独」を追求する行為なのだ、とさえ思うのです。

 わたしは今回のマミさんの意見に100%同意します。

 だけど、あまり理論的にならず、マミさんにしかないリズムとスピードを爆発させてください。マミさんにしかない≪ひらめき≫と≪ときめき≫で、≪ことば≫という名の≪普遍性≫が破壊されるに至ると。年寄りの詩人は夢見ています。 

ちょっと宣伝、ね。

おしらせ
07 /13 2009

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こぶたさがしてます。
亡命中の秋亜綺羅です。
9月後半に宮城県塩竈市で企画している、詩の朗読イベントのご案内です。
宮城県詩人会の主催で、わたしが企画をまかされているものです。
わたしも、劇団IQ150と組んで出演します。
言葉も肉体も音も匂いも光も、闇も、シェイクしちゃいます。
シェイクしたからといって、カクテルになってくれるかどうかは、わかりません。
シェイク・ポエム! カクテル・ポエム! というわけです。
                                   秋亜綺羅

もし、おいでいただける方がいらっしゃれば、招待券をお送りしますので【内緒】のコメントで住所を教えてください。また当日とつぜんいらっしゃる場合は「ココア共和国はどこだ」っと言ってもらえれば無料になります。たぶん。

秋亜綺羅

(1977.06.19)左から寺山修司、清水昶、八木忠栄、秋亜綺羅