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カクテル・ポエム 「九十九行の嘘と一行の真実」        秋亜綺羅

詩の朗読
10 /28 2010
 
 
 こんにちは。秋亜綺羅です。
 わたしのカクテル・ポエム(詩の朗読)がYouTube にUPされたので、時間の許す方は覗いていってもらえるとうれしいです。
 昨年の11月に、仙台のエルパーク仙台で公演されたものです。
 
 きょうは、「九十九行の嘘と一行の真実」という詩です。
 
詩の朗読というので、吉永小百合の膝枕で子守り歌を聞くつもりだった方は、残念でした。
「これは受けつけないな」、と思った方も多いと思います。
 だけど詩っていうのはたとえば、不幸なひとを救う道具じゃない。むしろ不幸ということの、ひとつの形態だろう。とさえ考えています。
 
 すこし日にちをおいて、また後半を紹介しようと思っています。懲りずに来てください、ね。ますますマニアックですぜ。ふふふ。
 
企画・構成=丹野久美子
出演=伊藤文恵、斎木良太
詩=秋亜綺羅
制作=劇団I.Q150
 
 
 
 
 
 
カクテル・ポエム「ドリーム・オン」
九十九行の嘘と一行の真実
秋亜綺羅
 
 
九十九行の心電図に異常はない
九十九行の嘘と一行の真実という名の詩はラブレターである
たぶん
 
毎日長いキスをして、唾液と唾液が絡まって、相手の血液に自分の唾液が入り込む。そんなことを繰り返していると。いつかふたりは、同じ日に死ねるんじゃないか、って思ったりする
 
目を閉じると暗闇が出来るでしょ
その暗闇のなかで
目のなかの目を閉じるんです
 
ほら
暗闇のなかに
暗闇が見えるでしょ
 
暗闇って
かたちがあって
わりと明るい場所だよね
 
レモンスカッシュに溺れている紋黄蝶や
グラスには上半分の夕日と下半分の赤ワイン
金魚鉢のなかの水平線は波立っている
 
透明海岸の海では
水溶性の映画が上映されていて
遠近法が使用されることもなく
一行の真実はここにはなく
光る稲妻のようにやまびこが走っている
走っていない
 
やまびこというのは
新幹線ができる前からある盛岡ゆきの特急電車の名まえですよ
 
去ってゆく君の五月の七度目の休日日没(おわり)みちのくへの帰路
傷選ばず乗せては帰るやまびこの旅始まれば音沙汰未遂
旅烏漂い着きし鳥の島立つ鳥あとをとりつく島なく
もはや逢えず一枚二枚アパートにて想い着物は三枚四枚
禁じられし淋し白地図住所録伝言板大学ノート
きのうまで船乗りだった君いま逝き棚の海図を風の落と()して
たどり着く島さえあらずと無線打つ一本の風のたよりなき糸
呪うこと想い出すこと笑うこと腕立て伏せをきょうは九回
 
狼が来た
嘘だよ
 
 
 
   

カクテル・ポエム 「ドリーム・オン」 あやつり人形       秋亜綺羅

詩の朗読
10 /27 2010
 
 
 こんにちは。秋亜綺羅です。
 わたしのカクテル・ポエム(詩の朗読)がYouTube にUPされたので、時間の許す方は覗いていってもらえるとうれしいです。
 昨年の11月に、仙台のエルパーク仙台で公演されたものです。
 
 きょうは、「あやつり人形」という詩です。
はじめの部分、マイクが故障かなと思うかもしれませんが、ささやいているのです。
マイクを使用する目的は、拡声することだけではありません。好きなひとの耳元でささやくように、声を出すことができます。新劇の役者たちは、ささやきやすすり泣きまで、観客席に届くように発声練習をします。わたしはそれが嫌で、マイクをよく使います。若いころ、観客席のなかのひとりにだけ、糸電話を使って詩を聞かせる…みたいなことをしたこともありました。
 
 伊藤文恵、斎木良太のふたりの動きと気配が、わたしの詩のリズムを動かし始めています。
 
企画・構成=丹野久美子
出演=伊藤文恵、斎木良太
詩=秋亜綺羅
制作=劇団I.Q150
 
 
 
 
 
 
カクテル・ポエム「ドリーム・オン」
あやつり人形
秋亜綺羅
 
 
完璧な暗闇で目をつむると
水溶性の映画がやってくる
世界でいちばん明るい場所がそこにある
 
マッチを擦って煙草に火をつけた
瞬きすれば使い捨てガスライターの時代が使い捨てられる
 
わたしの国の天井では電球から蛍光灯へと吊るし換えられた
わたしたちの命題は夜を暗闇から葬ることなのか
 
地震が起きて電源が失われる
わたしたちのあやつられる足はそのとき言語を失調する
 
人生なんて人形芝居
ひとがあやつり人形にすぎないのならば
 
この足は思想が足かせ
こちらの足は装置が足かせ
 
疑惑をもみ消した信念など役に立たないのだ
人形たちが望むものは理論なんかじゃなく、仕掛け
 
ユートピア理論の敵は、自分のこころをユートピアにしてしまうことだ
人形たちのこころはじゅうぶんに貧しく。傷口だらけ
 
せめてできるだけ底の薄い靴を履くこと。地球を踏みつぶせる感じがして
そんな感じを履きたいとおもうのだ
 
自分の匂いがおもいきり染みるまで一着の服を着替えない
そんな日数を着たくなる
 
わたしは人形を背負った少女を背負っている
わたしは<かたち>と背中合わせ
 
少女はわたしにだけ唄う
あんたのこと好きじゃない
殺したいほど好きだけど
ほんとに殺すほど好きじゃない
 
少女はわたしにだけ囁く
ねえ、あたしのそばにいてよ
あんたのそばに、いてあげるから
 
一発の銃声は人生を変える
一度放たれた弾丸は世界のどこかに必ず当たるものなのだ
 
わたしの国では火のついた導火線の利用法を会議している
死んだふりした幽霊たちと、身を隠した透明人間たちと
 
誰かは走った
誰かは走らなかった
 
入り口が見つからなければそこはもう世界なのだ
出口がなければ<出口はない>と逆説する
 
インスタント食品<最後の手段>を買いにマーケットまで
詩も思想も笑いながら焼き捨てて
 
おそらく食事はおいしいとおもうのだ
いま飢えているところだし
 
一家団らんする
わたしと、逆説されたわたしと
 
わたしの人形と
逆説されたわたしの人形と
 
あやつられる時代と
逆説されたあやつられる時代と
 
 
 
   

カクテル・ポエム 「ドリーム・オン」 ドリーム・オン

詩の朗読
10 /26 2010
 
 
 こんにちは。秋亜綺羅です。
 わたしのカクテル・ポエム(詩の朗読)がYouTube にUPされたので、時間の許す方は覗いていってもらえるとうれしいです。
 昨年の11月に、仙台のエルパーク仙台で公演されたものです。
 
 前回(きのう)は「プロローグ」でした。
 今回(きょう)から詩の始まりです。
 
すこし以前にわたしは、このブログで詩を9つ連続して書きましたが、読者に意味を伝達して、感動を「与える」みたいなものばかりでした。だけど、そんな詩にはぜったいにウソがあります。自分で書いておきながら、ごめんなさい。
 
 実は、このカクテル・ポエムこそが、わたしの本性だと思っています。
 戦場で傷つく兵士のために、どんな慰めの詩が書けるだろうか。交通事故にあって路上で血を流す幼女のために、どんな詩が書けるというのだろうか。不治の病と闘う病人のために、どんな詩が書けるだろうか。徹夜で勉強に追われている受験生のために、どんな詩が書けるだろうか。失恋して食事もできないでいる少女のために、どんな詩が書けるというのだろうか。
 なにも、できないんじゃないだろうか。わたしにできることといったら、目のまえのこんなにちっぽけなことにさえ、こんなにも本気な自分がいるんだよ。他人のためなんかじゃない。自分のために、自分が本気でいるんだよ。ただ、それだけを表現する。ただ、それだけしかないんじゃないだろうか、と思うのです。
 
 ふたりの男女の俳優が登場します。ふたりはわたしの詩を感じて演じ(踊り)ます。わたしはまた、ふたりの舞踏を感じて詩を組み立てていきます。
 
 この最初の詩「ドリーム・オン」では、ふたりの俳優はまだほとんど動いていません。台本はもちろんありません。ふたりの俳優もまた、自分自身のために舞踏しつづけるだけです。
 
企画・構成=丹野久美子
出演=伊藤文恵、斎木良太
詩=秋亜綺羅
制作=劇団I.Q150
 
 
 
 
 
 
カクテル・ポエム「ドリーム・オン」
ドリーム・オン
秋亜綺羅
 
 
ドリーム・オン、ドリーム・オン
明日に至る病いを抱えてドリーム・オン
 
ドリーム・オン、ドリーム・オン
ベッドに倒れて切符を切るドリーム・オン
 
ドリーム・オン、ドリーム・オン
借りなんて返さなくていいドリーム・オン
 
ドリーム・オン、ドリーム・オン
あなたにはシッポがないのでシッポを切る
ドリーム・オン
 
ドリーム・オン、ドリーム・オン
あなたにはクチバシがないのでクチバシを切る
ドリーム・オン
 
ドリーム・オン、ドリーム・オン
あなたにはミズカキがないのでミズカキを切る
ドリーム・オン
 
ドリーム・オン、ドリーム・オン
あなたにはトサカがないのでトサカを切る
ドリーム・オン
 
ドリーム・オン、ドリーム・オン
あなたにはツバサがないのでツバサを切る
ドリーム・オン
 
ドリーム・オン、ドリーム・オン
鳥は足がなくても飛べるので足を切る
ドリーム・オン
 
ドリーム・オン、ドリーム・オン
あなたには手がなくても歩ける手を切る
ドリーム・オン
 
ドリーム・オン、ドリーム・オン
かたつむりは家を背負っていることに気がつかないツノを切る
ドリーム・オン
 
ドリーム・オン、ドリーム・オン
あなたには家がないので背骨を切る
ドリーム・オン
 
ドリーム・オン、ドリーム・オン
魚は意識がなくても泳げる意識を切る
ドリーム・オン
 
ドリーム・オン、ドリーム・オン
眠るのに肉体はいらないから肉体を切る
ドリーム・オン
 
ドリーム・オン、ドリーム・オン
めくらには目がいらない目を切る
ツンボには耳はいらない耳を切る
オシに口はいらない口を切る
 
一年二年、ドリーム・オン
ひと昔ふた昔、ドリーム・オン
一秒二秒、ドリーム・オン
あしたあさって、ドリーム・オン
 
 
 
   

カクテル・ポエム 「ドリーム・オン」 プロローグ          秋亜綺羅

詩の朗読
10 /25 2010
 
 
 こんにちは。秋亜綺羅です。
 わたしのカクテル・ポエム(詩の朗読)がYouTube にUPされたので、時間の許す方は覗いていってもらえるとうれしいです。
 昨年の11月に、エルパーク仙台で公演されたものです。
 
 きょうは「プロローグ」ということで、詩が始まるまえのところです。
 ステージの中央に立てられた仙台市の地図…。観客全員に自分の住んでいる地点に画びょうを押してもらっています。
 実は画びょうには夜光塗料が塗られていて、暗転になるとステージの上に星空が出来あがるという仕掛けです。
 その暗闇のなかでわたしは、これから出演する2人の俳優の紹介をかねたプロローグを「棒読み」しています。
 家庭用のビデオのため、夜光塗料の光をじゅうぶんに捕えていません部屋を暗くしてご覧いただくと、見やすいようです。
 
企画・構成=丹野久美子
詩=秋亜綺羅
制作=劇団I.Q150
 
 
 
 
 
 
カクテル・ポエム「ドリーム・オン」
プロローグ
秋亜綺羅
 
 
コンサートといえばクラシック音楽ばかりだった時代に、
世界で初めてのジャズがホールで披露されたとき、
観客はしらけてしまい、ブーイングが渦巻いたと思う。
だが、この歴史的な時間と場所に立ち会ってしまったことに、
ずっとあとになって、観客は気づくことになる。
 
今回の丹野久美子のくわだてには、
そんなスケールの巨大さを感じるのである。
 
男女2名の行為は10時間に及ぶ。
そこにはおやつの時間や、食事、お昼寝タイムもあるという。
 
ここは日常なのか、それとも演劇の中なのだろうか。
観客は自分が観客であることを問うことになる。
だが、この演劇に観客論はない。
単独犯なのか、共犯なのか、立会人にすぎないのか。
観客自身が決めればいいことである。
 
演劇のステージの上では、ある種の錯覚こそが、
もっとも劇的なる現実、ということになる。
 
夜、眠り始めた瞬間に、目覚める夢を見る男がいる。
朝起きて夜寝るまでの一日を、そっくりもう一度夢に見てしまう。
 
朝、目覚めた瞬間に、昨日の夢とまったく同じものが始まる女がいる。
夜じゅう見つづけた夢が、現実で確実に実行されるのである。
 
男はある日、死ぬだろう。
二度くり返す人生の夢なんか、もう見なくてすむんだよ。
 
女はある日、死んだ夢を見るだろう。
夢からさめない方法を、だれに尋ねたらいいだろう。
 
斎木良太と伊藤文恵にはそんな感性を覚えるのだ。
そんな男女が、エルパーク仙台のステージで出会うことになる。
それは夢の中で、なのだろうか。現実で、だろうか。
 
仕組まれた日常と、
なにもしない演劇。
 
声が出なければ、
叫ぶしかないよ。
 
ここが暗闇ならば、
凝視しつづけるしかない。
 
泣きたければ、
歌うしかないさ。
 
気づいた時にはもう遅い、
夢中だった。
 
気づいた時にはもう遅い、
ドリーム・オン。
 
切る! 切り裂く!
夢だと思ってなんでも切る!
 
 
 
   
   

ことばは、理解されるためにあるのじゃない。

秋亜綺羅の長すぎるつぶやき
10 /18 2010
2010年10月18日(月) 
 
 こんにちは。新企画の原稿にちょっと行きづまったので、とこ屋さんに行ってきました。
 新人の女性の理容師さんが、髪を洗ってくれました。
「どこか痒いところはありませんか」と聞かれたので、
「北緯22度、東経54度が痒いです」と答えたら、
 その理容師さん、真面目な方らしく。奥のスタッフルームに相談に行ったようです。
 しばらくして、戻ってきました。先輩とおもわれる男性の理容師さんを連れて。…
「お客さま。地球じゃないんですから」。
 
 
   

季刊ココア共和国 vol.4

季刊 「ココア共和国」
10 /09 2010
 
 季刊ココア共和国 vol.4 が出ました。秋亜綺羅の個人誌です。
 宣伝です。ごめんなさい。
 
 秋亜綺羅=詩人。1951年生。
 へんな名まえですが、詩を書くときのペンネームです。40年前わたしが高校生のころ、寺山修司さんがつけてくれたもので、大事にしています。
 角川文庫の『書を捨てよ、町へ出よう』(寺山修司)に、ハイティーン時代に書いたわたしの詩「百行書きたい」が載っています。
 立ち読みしてもらえたら、うれしいです。
 詩集としては『海!ひっくり返れ!おきあがりこぼし!』(1971)があります。
 
  
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表紙おもて
 
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表紙うら
 
 
(売切れになっていてもすぐ入荷いたします)
 
 
 
季刊ココア共和国 vol.4
秋亜綺羅(),いがらしみきお(),倉田めば()柏木美奈子(編集,イラスト)
 
2010年10月1日発行
 
価格:¥525
 
商品の説明
内容紹介
 詩人・秋亜綺羅による個人季刊誌第4号。
 右開きからが詩。左開きではブログを編集。
 招待作品として、漫画家のいがらしみきおと
 パフォーマンス・アーティストの倉田めばに
 詩を書いてもらっています。
 
 いがらしみきおは、漫画家であることを真正面から描きます。
 詩のいがらしワールドをいっしょに歩くことができます。
 
 倉田めばは、パフォーマンスから誕生してきたことばたちを
 自由なひらめきで、紙の上にちりばめます。
 
 秋亜綺羅は詩を2篇。まあ。秋亜綺羅っぽいです。
 ほかに、丹野久美子の劇団I.Q150といっしょに公演した、
 カクテル・ポエム(朗読会)「ひよこの空想力飛行ゲーム」
 の実況記録版も掲載。
   
著者について
いがらしみきお=漫画家。1955年生。仙台市在住。
 『ネ暗トピア』『ぼのぼの』『BUGがでる』『3歳児くん』
 『かむろば村へ』など多数。
  日本漫画家協会優秀賞、講談社漫画賞、小学館漫画賞など。
 
倉田めば=詩人。パフォーマンス・アーティスト。
 1954年生。大阪市在住。
 霜田誠二主催の「日本国際パフォーマンス・フェスティバル」
 に参加。
 
秋亜綺羅=詩人。1951年生。仙台市在住。
 名まえは、40年まえ高校生のとき、寺山修司がつけてくれたもの。
 角川文庫の「書を捨てよ、町へ出よう」(寺山修司)に、
 ハイティーン時代に書いた詩「百行書きたい」が載っている。
 詩集『海!ひっくり返れ!おきあがりこぼし!』(1971)
   
 
目次
 いがらしみきお「漫画を描くこと」
 倉田めば「椅子」
 秋亜綺羅「合いかぎ」    
「馬鹿につける薬」
 
カクテル・ポエム実況記録版
ひよこの空想力飛行ゲーム
 
ブログ=ココア共和国
 秋亜綺羅のつぶやき
 ・あなたを殺すことなのだ
 ・寺山修司を観てました
 ・外に出れば、涼しかったよ
 ・「お酒をひやで…」と「冷酒」はちがいます
 ・小鹿夏個展を観てきたよん
 ・のんびりしないと殺される。ぞ
 
装丁=柏木美奈子
 
 
   

赤猫さんも真っ青。

秋亜綺羅の長すぎるつぶやき
10 /06 2010
2010年10月6日(水) 
 
おまじないあります。。。」というブログをやっている、「友だち」の赤猫さんには、おまじないを教えられたりして、たいへんお世話になっているわけです。
昨晩彼女からメッセージがあり、「明日テストだにゃああ!!!」とのこと。
「勉強しなくてもテストよくなるおまじないはないのですか?」とお返ししたところ、
「テスト用紙は左手で受け取り、右手でまわす。頭のいいコとシャープペンをとっかえる。ア~オ、1~5などは、ウ、エが多くて、2,3がおおいにゃああ!!!」」
とのことでした。
「頭のいいコとペンをとりかえる」は、わたしもやってみたいと思います。
でも問題は! このおまじないをバラしちゃったので、効果なくなっちゃったかも…。
いまごろ彼女、テストの時間ですよ、ね。
ごめんなさい。
 
 
じゃ、すまないかも…。ココアさんも真っ青。
 
      

ゾウリムシに感情がある?

秋亜綺羅の長すぎるつぶやき
10 /03 2010
2010年10月3日(日) 
 
ツイッターで、生物学者の MinoruSaito さんにこんな質問をしました。
「ゾウリムシに感情があるとは思えませんが、どの辺の生物から感情があるのでしょうか?」
「ゾウリムシはセックスを行う生き物ですので、当然感情、あるはずです」
という答えでした。
 
   

アート・アトランダム⑨ リセットボタンをはずしちゃえ    ■秋亜綺羅

美術評/アート・アトランダム
10 /01 2010
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リセットボタンをはずしちゃえ
──小鹿夏個展を訪ねて
 
                          秋亜綺羅
 
 新鋭のイラストレーターで、童話作家の小鹿夏の個展を見てきました。小鹿とはミクシィでの出会いで、お互い「寺山修司が好き」という名の関係です。わたしより、ちょっと若い。三十五年ほど。
 小鹿夏はみなとみらい、神楽坂で個展を開いており、今度が三回目。八月三~八日、場所は東京渋谷・ギャラリー・ル・デコでした。タイトルは「イモリのしっぽ第三章─青い足跡、紅い華」。
「イモリのしっぽ」は小鹿が手掛けている、大長編のおとなの童話の題名でもあります。
 美術の個展というと、壁に額縁が整然と並んでいるのを想像してしまうけれど、新しい世代のそれは、どうも違うようです。会場のディスプレーや物の配置、時間の経過までもが、作品であるかのようです。
 絵画やイラストといっしょに、壁には小鹿作のアニメが流され、六九狂ヴィヴィアンの音楽と歌が激しく流れつづけています。
 わたしが訪ねた金曜の夜は、特別企画。小鹿夏の絵本「イモリのしっぽ」から、キャラクターが抜け出してきて、しゃべり出し、歌いました。会場は観客でいっぱい。小鹿の二十四の誕生日でもありました。
 そこが劇場なのか、映画館なのか、遊園地なのか。そんなことは、かまっちゃいられないさ。…アーティストが作品を発表するということの、新しいスタイルのひとつになるのだろう、と感じました。
 小鹿はほかに、街頭でのライブペイントや、パフォーマンスも行っているようです。
 小鹿の世代は、ブログやツイッターをこなし、パソコンを使って映像や音楽を操ります。ゲームなどの遊びは自由に選択でき、出口はどこにでもあります。リセットボタンを押せばいいわけです。
 小鹿夏ら、そんな世代のアーティストは自ら迷路の出口をふさぐことで、自分を表現しようとする。すさまじいものを覚えました。
 
 
 
 ──こんにちは。秋亜綺羅です。
   月刊「ACT」(仙台演劇研究会)9月号に書かせてもらっているコラムです。
   編集部には同時掲載の許可をもらっています。
   美術を知らないくせに、遠慮も知らない、ナマイキな原稿です。
   怒りたくなったひと、または興味のない方にはごめんなさい
 
 
   

秋亜綺羅

(1977.06.19)左から寺山修司、清水昶、八木忠栄、秋亜綺羅