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わたしはいつだって、まじめなのだ。

秋亜綺羅の長すぎるつぶやき
06 /28 2011
 
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2011年6月28日(火) 
 
 ごぶさたしちゃいました。 秋亜綺羅です。

 野球のバッターの話だけど、調子がいい時はボールの縫い目が見えるといいますよね。 もっと調子がいいと、ボールが止まって見えるそうです。 ハエがとまるかもしれないくらいに。 ね。
 
 きょうは、糖尿病の診察の日で、HbA1cが5.8でしたよ。 わかるひとには、わかるでしょうけど、調子、いいでしょ。 薬を3種類も飲んでのことですけれど、ね。 (7年前は14もあったんです。 その場ですぐ、入院でしたね。) 
 
 きょうも診察の前に血液検査と尿検査があったわけだけれど…。 いつもだと採血の注射針を打つ前に、看護婦さんが 「アルコールで消毒して大丈夫ですか?」 って、聞いてくるのです。  ところがきょうは 「アルコールは大丈夫ですか?」 と聞いてきたので、 「若いころは強かったのですが、最近は缶ビール2つがいいとこですね」  と答えたのです。
 もちろん、一生懸命仕事をしている若い看護婦さんの気もちを和らげてあげようと、冗談を言ったんですよ。 ところが採血室で待っているたくさんのひとたちに聞こえちゃったらしく、みんなに大笑いされちゃいました。
 
 そのあと、採尿をお願いします。 と言われて紙コップを渡されたのですが、こんどこそ、わたしがまじめな男であることを証明しようと、看護婦さんに質問したのです。 ちょっとだけみんなに聞こえるように…ね。 「尿検査で、放射能の被ばく量はわからないのですか?」
 
 また、みんなに笑われちゃいました。 え? まじめな質問ですよ。 ね? 
 
 
──写真はネットからの拾い物です。 
 
 
 
 
 
 
 
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うんこも放射能も嫌いです。

秋亜綺羅の長すぎるつぶやき
06 /18 2011
 
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2011年6月18日(土) 
 
 おはやうございます。 秋亜綺羅です。

 校庭の砂を換えたから、もう遊んでいいよ~。 とかいうひとがいるんですよねぇ。
 そんなことまでしてその地で、意地でも、学校を開きたいんですねぇ。
 教室の窓から津波が見えているのに、授業をつづけたい先生がいるのでしょうか。 教育には、場所を選ぶということも、大事な条件だと思いますけれど。…
 
 海水浴場での放射能のレベルが問題になっているようですが。…
 安全の基準値はいくらか、指針を示せ。 とかいうのもいいですけれど、わたしたちが知りたいことは、事故以前とその値に変化があるかどうか、…だけですよね。
 いくらまでなら放射能があっても、ダ・イ・ジ・ョ・ウ・ブ、だとかといわれても、ね。 政治って、そのくらいの配慮しかできないのでしょうか、ね。
 
 ひとのこころと、気もちの問題から考えていかないと、ね。 政府の発表より、TVの学者の見解より、風評のほうが100倍正しかったことが、こんどの原発事故でわかっちゃいましたから。
 
 海水浴場の話だけれど。 この海には、うんこが溶けていますが、身体に害を及ぼすほどではありません。 安心してお入りください。 とかいわれても、ね。
 
 問題は、うんこどころか、放射能ですから、ね。
 
 
──写真はネットからの拾い物です。 
 
 
 
 
 
 
 
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伊藤文恵が踊ったぞ!

大震災──仙台から
06 /12 2011
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6月12日(日) 午後7時30分
 
 きょうは、1978年の宮城県沖地震があった日です。
 そして、東日本大震災より、3か月と1日。
 
 昨日、土曜日の晴れた午後のことでした。 
 仙台七夕や、光のページェントで有名な定禅寺通りで、
 仙台が誇る、新鋭の舞踏家・伊藤文恵が踊りましたよ。
 
 1年以上もまえになりましたが、
 わたしの詩と、共演したこともあリました。
 
 震災からの復興を思うと、気が遠くなるけれど、
 やれることは、やるんだよ。 これが、わたしだよ。
 と、言いたげでした。
 
 慰問といって中央から、たくさんのタレントや歌手が被災地に来てくれます。
 芸をしたり、歌ったりするのですが、
 命をかけた最先端のパフォーマンスをしてくれることはありません。
 
 握手をしたり、サインをしたり。…
 そんなことは有名人だから許されるけれど、
 フツーのひとがしたら、邪魔だといって追い返されちゃいます。
 
 日本は一つ! もいいけれど、  
 タレントだって、アーティストだって、隣のライバルたちを蹴落として
 這い上がってきたひとたちです。
 そのエネルギーこそが、被災地には欲しいんです。
 
 有名になってさえしまえば、いい人! は、たくさんです。
 
 伊藤文恵は、誰かのためにではなく、踊りつづけました。
 乳母車をひく母親たち、手をつなぐカップルたち、買い物袋を抱えてバスを待つひとたち、
 ひとびとが生きていく街のなかで、
 いま自分にできる、全部を、心を、身体を。 
 伊藤文恵の舞踏は、詩そのもの。 といえるものでした。
 感動で、涙が止まりませんでした。
 
 
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 ココア共和国
 秋亜綺羅
 
 
   
 
 

瀬崎祐による、みゆき 「おじいちゃん」 評

詩ってなんだろう
06 /09 2011
 こんにちは。 秋亜綺羅です。
 詩人の瀬崎祐が、季刊ココア共和国第6号の、みゆきの詩 「おじいちゃん」 を、自身のブログで批評してくれています。 勝手に転載しちゃいました。 (瀬崎祐 「風都市」)
  みゆきは、このブログで知り合った詩人です。 わたしは Yahoo!ブログで、多くの詩人たちを見ているつもりですが、才能あふれる若い詩人たちに出会うのが楽しみです。
 ブログというのはもともと日記ですから、現代詩のように計算づくめのことばづかいは必要ないかもしれません。 死んでしまったことばたちを、昆虫採集のように並べるのじゃなくて、ことばを生きたまま飛び交わせましょうよ。 生きていることばたちに与える食事は、ひらめきと、ときめき、です。
 
 
 
 (以下転載)
 
ココア共和国6号 (2011/5) 宮城
 
 「おじいちゃん」 みゆき。
1連2行の平易な表現で ”おじいちゃん” の思い出が綴られていく。 そのおじいちゃんは、縁側で足裏のツボを叩いていたり、いっぱい持っている年金で私を大学へ行かせてやるぞと言ってくれる(本当は借金の返済で年金なんて残っていなかったのだが)。

寒い冬の日トイレで脳溢血で倒れて入院したおじいちゃん
お見舞いに行って流動食をスプーンで口に運んであげたら

「どうもありがとうございます」 ってすごく丁寧に言ったおじいちゃん
もう私のこともわからなくなっていた

作品の形を整えていくときに、彫刻のように彫っていく意識の時と、塑像のように部分を付け加えて意識の時がある。 この作品は、おじいちゃんの描写を積み重ねていくのだが、どの部分をどれぐらいの大きさで付け加えていくかを、素直な気持ちで選び取っている。
紅白歌合戦にも登場したフォークソング 「トイレの神さま」 を想起させてしまったりもするのだが、それでもなお、読み手に伝わってくるものがあった (1行書きになってからの最終部分は、さすがに余分だと思えるが)。

それにしても、この個人誌を発行している秋亜綺羅が選んで載せる書き手の作品は、どれも明るく軽快で、少しだけ情緒的である。 徹底的に偏った好みで作られている。 個人誌の意味はこういうところにあるのだろうな。

詩誌の後半には、秋亜綺羅が仙台から発信しているブログの一部が採録されている。 和合亮一のツィッターで発信されたものとは異なった視点からの証言である。
 
                                           瀬崎 祐
 
 (転載終わり)
 
 

 
 というわけです。 季刊ココア共和国は、一家に一冊!必需品のはずですが、まだお持ちでない方のために、特別だよん! みゆき 「おじいちゃん」 をここで紹介しちゃいましょう。 とてもいい詩ですよ。
 
 
 
 
 おじいちゃん
                             みゆき
 
   
 いつもあったかい縁側であぐらをかいては
 足の裏を手でぱーんぱーんと叩いていたおじいちゃん
 
 その動作がとっても不思議だったけど、
 足裏にはツボがある事きっと知ってたんだ
 
 自分の手入れした盆栽を嬉しそうに眺めては
 時折床屋さんのようにちょきちょきと枝を切っていたおじいちゃん
 
 どうしても真似してみたくって私がハサミを持つと
 コラコラと嬉しそうに叱ったおじいちゃん
 
 お母さんが近所の人のお通夜でいなくて、
 お父さんも帰りが遅くて布団の中で一人泣いてたら
 
 そっと布団に入ってきて頭をなでてくれたおじいちゃん
 後でお母さんに怒られてとっても可哀そうだった
 
 初めての修学旅行でおみやげに大きな笠を買って渡したら
 とっても喜んで次の日から縁側でかぶってくれたおじいちゃん
 
 おじいちゃんの坊主頭にはぴったりで
 私が思った通り、笠地蔵より似合ってた
 
 景気が悪くなって家が急に貧乏になって進学で悩んでいた時
 「おじいちゃんは年金いっぱい持ってるから大学行かせてやるぞ」 って言ってくれ
  たおじいちゃん
 
 おじいちゃんの年金なんてとっくに借金の返済に回ってしまったと
 後でお母さんに聞いたけど、おじいちゃんには何も言えなかった
 
 お父さんが亡くなっておじいちゃんと別々に暮らす事になって引っ越しの時
 トラックに荷物を詰め込む私たちを淋しそうに見ていたおじいちゃん
 
 寒い冬の日トイレで脳溢血で倒れて入院したおじいちゃん
 お見舞いに行って流動食をスプーンで口に運んであげたら
 
 「どうもありがとうございます」 ってすごく丁寧に言ったおじいちゃん
 もう私のこともわからなくなってた
 
 危篤の知らせを聞いて病院へ駆けつけたら、
 もう霊安室に移されてたおじいちゃん
 
 はげ頭はピカピカで、笑っているような顔をして
 今にも 「よく来たな」 って起き上がりそうだった……
 
 いつも 「こづかい100円やるぞ」 って言って
 軽いお財布さぐっては見間違えて1円玉くれたおじいちゃん
 
 はぶりのいい頃、お金持ちしか持っていなかった選挙権を持ってて
 マント着て投票に行って皆が振り返ったと自慢してたおじいちゃん
 
 だから国会中継が好きで
 時々居眠りしながらもずっと観ていたおじいちゃん
 
 庭の井戸水で粉のハミガキ使ってたおじいちゃん
  
 優しかったおじいちゃん
 
 もっと一緒に居てあげれば良かったよ
 
 もっとお話しすれば良かったよ
 
 ずっとずっと忘れないよ
  
 大好きだったおじいちゃん……
 
 
                                              ──季刊ココア共和国第6号より
 
 
 
 
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猫うつしのキッス        写真と詩※宮内文子+秋亜綺羅

写真と詩
06 /05 2011
 
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 ごぶさたしていました。 秋亜綺羅です。
 写真家の宮内文子と紙上コラボを試みています。
 その第3弾です。
 
 これは現寸にするとA3版です。
 写真と詩を、それぞれに紹介したほうがブログでは賢明なのでしょうが、 
 できたら、写真と詩との距離、空間を感じてもらえたらと思い、
 パソコンのデータのまま、貼付しました。
 訪問された方には失礼な話ですが、
 拡大して見てみてください。
 
 1枚の写真と1篇の詩に意味としての関連性はありませんが、
 ふたつが感じあっていることが、
 ひらめき合っていることが、
 それが、宮内とわたしのときめきになっていることが
 ちょっとでも現れてくれたらいいな。 と思っています。
 
 写真のネコさんの背中はもちろん猫背だけど、ははは。
 宮内文子にかかると、ネコさんの背中は、物語を語り始めます。
 このネコさん、にやりと笑っています、ね。
 そう、だれもいなくなると、部屋のなかの
 赤い金魚さんが棲む金魚鉢と、
 小鳥さんのいる鳥かごを訪問しては、
 世の中の情報を交換していますぜ。…
 
 ところで、たいていの詩には、タイトルがありますよね。
 どうしてだろう。 なぜタイトルなんか必要なんだろうと、いつも思っています。
 だからタイトルをつけるとき、ちょっと気恥ずかしさを感じていました。
 
 で。 この詩はタイトルまでも、詩全体の仕掛けのひとつにしてしまおう
 と思ったわけです。
 
 ネコさんって、金魚さんにも小鳥さんにも興味を示しますよね。
 それって、ふたりのデートのお手伝いをしていたのでした。
  
 2011.06.05
 
 
 
 
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秋亜綺羅

(1977.06.19)左から寺山修司、清水昶、八木忠栄、秋亜綺羅