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秋亜綺羅の長すぎるつぶやき
09 /12 2011
2011年9月12日(月)
 
 9月10日(土)と11日(日)は、仙台ジャズフェスがありました。
 わたしの 「ひよこの唄」 を作曲してくれたサイトウミノルも、
 ボーカルの女性と組んで、アコースティックで頑張っていましたよ。
 立ち見(?)の観客がいっぱいで、
 ユーモアたっぷりの進行で、 楽しいステージ(?)でしたよ。

 ところで、震災が起きた午後2時46分。
 街じゅうのぜんぶの演奏家がいっせいに 「ラ」 の音を出しました。








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詩誌 「詩想」 佐藤幸雄追悼特集号が出ました。

詩ってなんだろう
09 /07 2011
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 こんにちは。 秋亜綺羅です。
 宮城県詩人会主催の第1回YS賞は、「季刊ココア共和国」 の常連、19歳の藤川みちるでした。
 その、「YS」 というのは、詩人・佐藤幸雄のイニシャルです。
 佐藤は、2008年に60歳で亡くなっています。
 わたしといっしょに、高校生などハイティーン詩人たちをいつも見つめてきました。
 
 きょう、佐藤幸雄が主宰していた  「詩想」 23号がしばらくぶりに出ました。
 佐藤幸雄追悼特集号です。
 佐藤が亡くなって2年半以上も過ぎてしまいました。
 わたしは 「詩想」 の同人じゃないのだけど、文章を書いています。
 
 2年近くまえに書いたものなので、どうかな。 と思いましたが、
 「詩ってなんだろう」 とふと考えることがあったときなど、
 ちょっと読んでみてもらえたら、うれしいです。
 
 現在の 「詩想」 を主宰する詩人・伊深久男の許可をもらったので、
 全文、掲載します。
 
 
 
 
 
 
佐藤幸雄論まで時速4キロ
                                         秋亜綺羅
 
 
 
  幽霊というのはほんとうは夜、眠っているものなのだ。
  幽霊に会ったなどというのは、夜眠られないひとたちの、嘘に決まっている。
  ぐっすり眠っている幽霊を見た、というならばともかく
 
 
 と書いたわたしの詩を見て、佐藤幸雄は 「眠れない」 じゃないのかな。 と切り出した。 「いや、眠れないは典型的なラヌキことばでしょう」 とわたし。 それから長時間の詩論の応酬が始まる…。 佐藤はすでに、進行がんと闘っていた。
 佐藤幸雄はおおぜいのまえでは、とても愉快なダジャレおじさんだった。 とくに高村創とのおやじギャグの決闘は、つぎに飛びだすワザがわかりきったプロレスのように、感動した!
 だが、ふたりきりになると、佐藤幸雄とわたしは詩のことばかり話した。 時間がないような気ばかりしていた。
 数日後、「詩集のタイトルを決めましたよ」 と佐藤。 「眠られない人々のために」 だそうだ。 わたしはわざと、声を出して笑った。 ラヌキことばの件もあったけれど、死を宣告されたひとが、眠られないひとのために詩を書く、という逆説に、わたしは声を出して笑う必要性を感じた。
 

  眠られない人々のために      佐藤幸雄
 
  まず
  よこになり
  目を閉じてください
  すると くらくなりますね それでも
  まぶたをとじた まなうらに
  あかるいところ
  くらいところが
  あるでしょう その中の
  もっとも黒く くらいところを見詰めてください
  そのなかに全身を埋めていきましょう
  すると
  さらにくらくなりますね
  さらに
  くらいなかの
  もっと
  くらいところを
  見詰
  て
  くだ
  さい
 

 ここまで読ませてもらって、「幸雄さん、待ってください」 とわたし。
 「わたしがいま書いてる詩です」 といって、書きかけの原稿を佐藤に見てもらった。
 

  九十九行の嘘と一行の真実      秋亜綺羅
  
  目を閉じると暗闇が出来るでしょ
  その暗闇のなかで
  目のなかの目を閉じるんです
  
  ほら
  暗闇のなかに
  暗闇が見えるでしょ
  暗闇って
  かたちがあって
  わりと明るい場所だよね
 

 「盗作したわけじゃないですよ」 とふたり。 ほとんど同時に声を出したのだった。
 いま、佐藤幸雄の詩集を読み返してみると、ほかの詩の多くにも、ふたりの共通と思われるテーマや手法を読むことができるのである。
 わたしはいつのまにか、詩を一行書くたびに、幸雄さんならどう書くだろう、と思うようになった。
 だからいま、わたしの詩の一行一行は、佐藤幸雄論への一歩一歩だといえそうである。
 佐藤は、「眠られない人々のために」 のあとがきで、重要な詩論を展開している。
 

   第一詩集を出しての半年後、私は手術台に乗せられていたのです。 大腸癌との診断を受けてのこ
  とだったのですが手術を担当した医師からは、「相当の覚悟」を言い渡されました。 事態は医師の告
  げた通りに進展し、今、複数の転移にみまわれています。 否が応でも死というものを意識せざるを得
  ない立場に追い込まれた事になりますが、観念としての死ではなく、具体としての死を思いやると
  き、生というものが色めき立って私を覆い尽くすことにことになったのです。 ここに収められた詩はそ
  うした状況の中で生まれたものであることを告げなければなりません。 結果として、そうした状況下
  での機会詩ということになってしまっています。 それは私にとって、最も避けなければならない前提
  なのでした。
 

 この 「機会詩」 否定論には、わたしも全面的に同意である。
 最近は、老いも若きも、ことばで日常の出来事や心象をスケッチするだけで 「詩」 と称しているひとが多いわけだけれど、佐藤幸雄はそれを完ぺきに切り捨てているのである。 カンバスのうえのスケッチがどんなに上手になったからといって、画家にはなれないのだから。
 佐藤は詩人としての自覚を捨てることを嫌った。 七〇年安保の時代に詩を書き始めたからというわけでもないが、佐藤もわたしも、メタ詩。 詩は詩のために書く、のである。
 ある日、若い詩人たちとの議論で 「詩はなぜ書くんですか」 という話になったとき、わたしは、
 「不良少年はナイフをいつもポケットに隠していないと安心できない。 わたしは世界でいちばん切れ味の鋭い、さっきまで自分で磨いていた詩を、ポケットに持って歩きたいんだよ、ね」。
 すかさず佐藤幸雄。
 「だけどしばらくすると、自分のなかで、そのナイフは錆びてくる。 新しい詩をまた書かなければ、不良をやってる自信がなくなっちまう」。
 で、話を戻して。 佐藤幸雄はあとがきで 「そうした状況下での機会詩ということになってしまっています」 と自分の詩のことを書いたけれど、そんなことはまるでない。「生というものが色めき立って私を覆い尽くす」 と自ら書くように、「死」 が 「生」 を立ち上げていくという佐藤幸雄のロジックは、新しい世代に読み継がれるのにふさわしいと思う。 寺山修司も語ったように 「死」 は 「生」 のなかにしか存在しないのだから。
 佐藤の詩は、わたしの詩もそうだけれど、比喩を嫌う。 直喩はもちろん、暗喩も、である。 反語や二律背反、逆説から出発して、いままで行きつけなかった場所へ行こうと試みるのである。 逆説を超える手法を捜すのだ。
 佐藤幸雄の詩がわたしより優れているのは、わたしの場合、方向を変えずに目的地に突っ込むわけだけれど、佐藤の詩は、ユーモアをおみやげにして、元の位置に戻ってくるのである。
 最初に引用した 「眠られない人々のために」 の後半は以下のように続くのだった。
 

  それをくりかえすと
  いつのまにか眠れます
  ただし
  それと反対の
  過程を経て
  めざめる
  わけでは
  あり
  ません
  めざめない
  ことが
  ある
  こと
  も
  知っていてくださいね
 

 さて。 わたしだって幸雄さんと詩論ばかりやってたわけじゃないぞ。 ふたりの会話で覚えているおやじギャグをいくつか…。
 
 幸雄さんの症状が末期だ、と聞いたとき。
 わたし 「幽霊は自分が死んでいることを知らないとします。 あなたが幽霊でないことを証明しなさい」
 幸雄 「いや、いま幽霊かもしれない。 幽霊だってことを、どうすれば信用してもらえるんだ」
 
 詩集刊行の打合せが、午前にあった。
 幸雄 「おはようございます。 秋さんは意味のないあいさつは嫌いでしょうけど…」
 わたし 「おはようございます。 死ぬのはちょっと早すぎますよ、というくらいの意味です」
 
 幸雄さんから快気祝いに 「お花の商品券」 をもらった。
 わたし 「ほんものの花は、にせものの造花だ」
 幸雄 「ほんものの造花は、にせものの花だし」
 
 佐藤幸雄は1948年、仙台に生まれている。 わたしの3年先輩である。 70年安保の時代に仙台で詩を書きはじめたふたりは、こんなに詩論も近いというのに、なぜ出会わなかったのだろう。
 出会いは、それから35年後の2005年になるのである。 それまでわたしは佐藤幸雄を知らなかったし、佐藤もわたしを知らなかったと思う。
 だけどそして、これからはずっといっしょに、詩をやれたはずだったのに。
                                               (2009・11・02脱稿)

 
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秋亜綺羅

(1977.06.19)左から寺山修司、清水昶、八木忠栄、秋亜綺羅