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野沢啓さんの「回答」に対して中本道代からのメッセージです。

公開質問+
02 /08 2023


野沢啓さんの回答文を読んで

                     中本道代


 野沢啓さんの回答文は、肝心の質問にはほとんど答えようとせず、罵りと見下しに終始していて驚かされました。
 野沢さんは新藤さんが会長挨拶で「『日毒』は受賞の対象にしてはならない」と言ったと主張していますが、その言葉を誰も聞いていないことの理由を、秋さんや中本は「事の重大性を察知する能力と判断力が」ないからだと嘲り、選考委員の人たちは「これから始まる選考会のことで頭が一杯になっていた」か「『日毒』のことをほとんど知らず」「関心外だった」からだと見くびっているのです。今日で受賞詩集が決まるという日の会長挨拶ですから、緊張感のある空気の中で始まりました。そんな時に「〇〇の詩集は受賞させないように」と会長が言ったとしたら、皆驚いて耳をそばだてたはずです。「五年も前のことだし」と野沢さんは言いますが、そんな「前代未聞」の出来事があったら、たった五年で全員が完全に忘れてしまうということがあり得るでしょうか。それに、『日毒』は候補に上がっていたのですから、選考委員の人たちは精読して来ているはずです。「ほとんど知らない」とか「関心外」であったはずがありません。野沢さんにとって他者とは揃いも揃ってそれほど愚鈍なものなのですか。どうしてそこまで人を見下すことができるのか不思議です。
 秋さんと私は、自分たちの任期中の選考会で問題があったと言われて知らない顔はできず、でもそれが事実ではないことだったので、秋さんは野沢さんへの公開質問状を作成し、私は抗議文を書きました。それを野沢さんは「ほんとうの仕掛人はほかにいて、このふたりはその言いなりになっているのだ」と侮っています。野沢さんには、人が責任感から動くということが理解できないのでしょう。
 野沢さんは、新藤さんに悪意はないから嘘を言う理由がないと言っていますが、新藤さんには悪意はなくても、野沢さんがいつまでも名前を伏せたまま糾弾している「裏の人物」に対しては悪意があるように見えますが、違うでしょうか。
 また野沢さんは「わたしは…いちども〈不正〉という言葉を使っていない」と書いています。でも、イリプスには「(『日毒』は)残念ながら受賞にはいたらず次点に終わったが、そこには恐るべき詩壇政治家の策謀があった」と書かれています。それは『日毒』は策謀があったから受賞できなかった、と読み取れますが、それがすなわち不正ということではないのですか?
 そして、「秋亜綺羅などはそれまでの詩人としての実績からすれば何者でもなく、あくまでも新藤凉子の引きで理事長の座に収まっているだけではないのか」とも書いていますが、詩の世界に「何者でもない」人などいません。野沢さんはどうやって何者でもない人と何者でもある人を分けているのですか? そしてその場合、野沢さん自身はそのどちらに入ると思われているのですか?
 また「あくまでも新藤凉子の引きで理事長の座に収まっている」という言葉ですが、理事会に入っていない野沢さんにどうしてそういうことが言えるのですか? 誰かに聞いたのですか? 単なる推測ですか? 秋さんは能力があり、信頼できる人柄だから選ばれたのだとは思ってみることもないのですか? 野沢さんはやはり、伝聞か推測だけで、検証もせずに人を貶めるようなことを書く人なのだな、と思わずにはいられません。

野沢啓さんからの「回答」について。

公開質問+
02 /01 2023
 お忙しいのにご回答ありがとうございました。
 わたしの意見を1文字も書かずに野沢さんの「回答」をこのブログに掲載し、3日ほどになります。読んだ方には先入観なく比較して読んでいただけたかと思います。一説によれば「イリプスⅢ」に反論をお書きになるそうだ。とのことでしたが、直接ネットでお答えいただいたのは、とてもうれしく思います。「イリプス」はわたしの好きな詩人たちの大切な詩誌ですので、わたしとの論争などにページを使わせては失礼だな、とちょっと心を痛めておりましたので。
 せっかく箇条書きにして質問したので、認めるか否かを答えていただければいいものを、どこかの国の国会答弁みたいに、各論を総論に置き換えて、結果的に95%以上は返答していない。せっかくブログという、読みたい人はいつでも読める場所で交し合ったというのに、読んだ方には不満が募ったのではないかと思われます。
 しかしながら、中本道代とわたしにとっては、満額回答というか、とても満足いくお答えとなりました。もしも中本道代とわたしが同じ部屋で同時にこの「回答」を読んだとしたら、ふたり顔を見合わせて、大笑いしたことでしょう。実際、わたしはひとりで声を上げて、笑っちゃいました。
 野沢啓さんの「回答」のこの部分です。


   それをほかに誰もいなくて自分だけが主張しても
  それは通らないでしょう、とは中本の発言でそこに
  裁判になったらというニュアンスを付け加えるのを
  忘れていない。そこでわたしにははっきりわかって
  しまったのだが、今回の「公開質問」のほんとうの
  仕掛け人はほかにいて、このふたりはその言いなり
  なっているのだ、ということである。この裏の人物
  は『歴程』の次号にわたしへの反論を書いたとのこ
  とだが、そうしてみると、この「公開質問」のしか
  たとすべては符節が合うように動いていることがわ
  かる。


 これで、中本道代と秋亜綺羅も犯罪者集団の一味に決めつけられてしまったわけです。この文章の書き方って、きちんと材料があって証明できたときに使われるはずの文法ですよね。裏の人物って、以倉紘平でしょ? という質問にも答えず、懲りない方ですね。以倉紘平とわたしのこれまでの現代詩人会での関係だったら、疑ってもいいですよ。でも中本道代との接点はいくらなんでも。
 要するに、中本道代本人と秋亜綺羅本人が身をもって、100%の嘘の対象になっちゃいました。「ああ。すべては、これだったんですね」と中本道代とわたしはメールしあい、納得しあいました。これでふたりは自信を持って誰に聞かれても、野沢さんの言うことは勝手な想像で、しかも当たっていない。わたし自身が証拠です。と言うことができます。ありがとうございました。実感というか、体感というか、自分がそういった虚構の一部になるのも、不快じゃないですね。わたしだけかな?
 だいたい、詩人がほかの詩人の「言いなり」になるものですか? 詩の世界で何者でもない秋亜綺羅は、そんな関係を見たり聞いたりしたことがありません。野沢さんの世界にはあるんでしょうね。
 最初から書いていますように、当時の詩集賞担当理事だった中本道代と、当時の理事長だった秋亜綺羅が、事実を確認しておく必要を感じただけです。毎年3月に開かれるという基金の会議で話題になる前に、日本現代詩人会も事実の究明はしていますよと言わなければ、基金と日本現代詩人会の間に溝ができかねないと考えたからです。
 中本道代だって秋亜綺羅だって、こんなことに関わっていたくないですよ。長い質問原稿を書くよりもっと何倍もの時間をかけて、関係者に電話をしたりメールをしたり。そこで野沢啓さんの主張が事実だとわかれば、わたしは、以倉紘平と新藤凉子に「なんてことをしてくれたんだ!」と問い詰めるだけのことです。
 ちなみに、わたしは以倉紘平会長の時も理事の一人でしたが、確かに沖縄での「西日本ゼミナール」の講演者についての議題はありました。以倉会長は理事会でプログラムの変更はできないかと意見を確かに述べました。ただ、怒鳴ったりしていませんし、わたしは「ゼミナールは基本的に地元の詩人会に主導権を持たせるべきだし、これまでの印刷などの準備を変えるには時間がない」と言って反対しました。それが理事会というものです。それから、わたしが理事長になった時は歴程同人ではありませんでした。なぜだろうか、ベクトルの全部が逆なのが不思議です。
 でもこれで、回答されなかったことを再質問する必要もなくなりました。新藤凉子発言も「不正」ではないということですし、秋亜綺羅としてはこれで「公開質問」を終了します。中本道代が文章を書くようであれば、またこのブログを使用してください、と言ってあります。その時はよろしくお願いいたします。(秋亜綺羅)
 
 


秋亜綺羅

(1977.06.19)左から寺山修司、清水昶、八木忠栄、秋亜綺羅