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谷内修三による石井萌葉、藤川みつる評

詩ってなんだろう
02 /05 2011
 こんにちは。 秋亜綺羅です。  
 しばらくブログに近寄っておりませんでした。 
 ここ、2週間のあいだに東京へ行って、宮内文子の写真展を観てきたり、仙台へ戻って胡弓という楽器の演奏と詩のコラボをしたり。 小鹿夏と組んで、詩画も2点ほどつくったりしています。 小鹿とはまた、アーティストの六九狂ヴィヴィアンと、アニメ編集者の對馬妙子といっしょに、アニメ作品をつくることになっていて、わたしもそこで詩を担当します。 雑誌などの原稿締切りもたまってきちゃいました。 「季刊ココア共和国」 第6号の編集も始まっています。

 で。 「季刊ココア共和国」 第5号に書いている石井萌葉と、藤川みちるの詩を、詩人の谷内修三が、自身のブログで批評をしてくれています。 日本を代表する詩人のひとりである谷内が、ふたりの作品と本気で向き合ってくれています。
 ふたりに限らず、ブログで詩を楽しんでいるひとはたくさんいます。 ふと 「詩ってなんだろう」 なんて思ってしまったとき、ちょっとヒントになるかもしれません。
 というわけで、谷内修三の批評を(無断で)転載しちゃいました。 



【以下引用】

石井萌葉「返り血アリス」、藤川みちる「this world」
(「ココア共和国」5、2011年01月01日発行)

谷内修三


 石井萌葉「返り血アリス」はことばが軽い。そして速い。もっともその速さは短距離競走のような速さではなく、肉体の中からあふれだしてくる若さによる速さである。歩きはじめると、楽しくて自然に足が速くなる。目的地も、歩く意味もわからない。けれど、自然に動いてしまう。そんな具合に、ことばを書くと、自然にことばが速くなる。


  チェシャ猫まぁなんて貴方は
  救いようの無い馬鹿なの
  何時間、何千年こんな所に
  居座ったってね
  アタシの求める世界には
  絶対にならないわ

  真実を確かめる旅に出るの

  嘘、誘惑。そんな話術は必要ないわ
  毒、罠。そんな小細工はめんどうでしょう


 「チェシャ猫」から「アタシ」への移動がとても速い。猫を放り出して「アタシ」が動きはじめる。「アタシ」は猫じゃない。だから「こんな所」に居座ったりはしない。「旅」に出る。
 でも、どこへ?
 これは野暮な質問である。
 「旅」と決めたら、部屋を一歩出るだけで旅なのだ。それは幼い子供が「家出する」と思って少し遠い公園まで行って、それから帰ってくるのとおなじである。距離も場所も関係ない。「決意」だけが問題である。
「決意」というのは、肉体の奥からあふれてくる自然な感情である。勢いのある感情のことである。
「チェシャ猫まぁなんて貴方は/救いようの無い馬鹿なの」という2行は、猫に対する批判ではなく、「アタシ」は馬鹿にはならないわ、という「決意」、あふれる感情なのである。
 ここにはあふれる感情があるだけで、「意味」もない。
 ──ということを書きはじめると、あ、なんだか、この詩を壊してしまうなあ。余分なことは書くまい。


  血血返り血アリス
  ドレスを染めて何処へ行くの
  血血返り血アリス
  足跡辿って着いてくうさぎ
  血血返り血アリス
  笑顔が可愛い気分屋少女
  血血返り血アリス
  アリスはきっと辿りつく

  回る ラララ 彼女は
  スキップしながら探してる
  回る回る回る
  ホントの自分を探してる

  血血返り血アリス
  垂れ目が可愛い我が儘少女
  血血返り血アリス
  誰よりも幸せの意味を知る
  血血返り血アリス
  探し物が見つからないの
  血血返り血アリス
  アリスはきっと辿り着く


 石井を動かしているのは、あふれてくる感情だけである。 あふれてくることばだけである。あふれてくるから、それを前へ前へと放り投げる。 「血血返り血アリス」ということばを放り投げる。
 「血血返り血アリス」ということばがどんな「意味」をもっているか、石井にはわからない。ただ、そのイメージが見える。 実感できる。 そしてことばになっている。 だから、そのことばにぴったりする次のことばを探している。 きっと、それは「真実」のことばとぶつかったとき、きれいな音を立てて、「これが真実だよ」と教えてくれるはずである。 そういう「音」に出会うまで、石井と「血血返り血アリス」を前へ前へと放り投げて進む。
「旅」とは、ぴったりくることばを探して動くことなのだ。「真実」とはぴったりくることばなのだ。 いまのところ石井には「血血返り血アリス」ということばだけが「真実」なのである。
 だから何度でも、その唯一信じられる「真実」を前の方に放り出して、そのことばについていく。 そうすると、次のことばが「アタシ」の進んだ道のわきから追いかけてくる。そして、その追いかけてくることばのなかにある何かが、また、「血血返り血アリス」ということばを前へ前へと放り投げるときの力になる。


  回る回る ラララ 彼女は
  深い森の中で探してる
  回る回る ラララ 彼女は
  やっと見つけた

  地面に小さな人影
  その首にナイフを突き刺すと
  アリスは驚いた
  何千人何万人もの人を殺めて
  やっと見つけた探し物
  それは

  ──血まみれドレスを着た

  アリス──

  でもいいの。アリスはずっと求めてた。
  本当の姿がどうであっても
  アリスにとっては 最高の終わり方。


 最後の方は、ことばが失速する(「血血返り血アリス」がまるで、父帰り、その父をナイフで刺してみたら、自分自身を刺してしまった、そこには血まみれの自分の「人形」があった──という「オチ」を想像させる)が、「でもいいの。」と石井は書く。確かにどうでもいいのだ。「求めていた」ということだけが、ことばにとって必要なことだからである。

       *

 ことばを前へ放り投げて、それを追いかけて進む──ということばの運動は、藤川みちる「this world」にも共通する。


  生かすも殺すも
  自由自在な神様は
  その時居眠りでも
  してしまったんだろう

  筆先から
  滲んだink が
  紙の上に
  小さな染みを作った

  それはきっと
  accident
  けれどきっと
  destiny 

  ちいさなbug は
  増幅し繁殖しながら
  新しい秩序を
  生み出していく

  僕らのstory 
  可能性はinfinyty
  ならばこの手で
  変えてしまおう

  this world! 


 何度か出てくる英語がとてもおもしろい。
 そこに書かれている英語は、藤川にとっては石井の 「血血返り血アリス」 である。 「知っているけれど知らないことば」である。 「音」があって、それから 「意味」 をこめる。たとえばaccidentに「事故」、destiny に「運命」。「意味」をこめながら、しかし、同時に「意味」を剥奪する。藤川がそれまで知っていた「事故」や「運命」とは違った何かを、その「音」のなかに探す。その「音」が別の「音」とぶつかって、新しい音を引き出し、そこから探している「意味」があらわれるといいのになあ──と、ここにないものを探しながらことばが動く。

 ことばを自分の前に放り投げる。そして、それを追いかける。あとから「意味」が生まれるかもしれない。生まれないかもしれない。「でもいいの。」動いていくことが詩の唯一の目的であり、存在理由なのだから。


【引用終わり】



    

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コメント

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No title

ココア共和国さんおはようございます。
先日はお忙しい中、本当にほんとうにありがとうございました。
”嬉しくって”・・”夢じゃなかったんだ”・・と言う証拠にと(笑)
あの日の「秋亜綺羅」のお写真、無断で私のブログにのせちゃいまた。・・スミマせん
http://blogs.yahoo.co.jp/mhumikoodd/7418460.html

ところで、家出してしまった娘達、
おとなしくしていますでしょうか?

お行儀悪い時は、詩カッテ下さいませね。

どうぞどうぞ、よろしくお願い致します。宮内文子

No title

先日はお邪魔しました。
宮内文子には 「思い出の時間」(写真展名)でも、
わたしには新鮮なイメージを生んでくれるものでした。
モノクロームの2次元が、写真家の心まで焼付けてくれているのは
不思議です。
写真展っていうと、これが写真だ、みたいな、
フレームの中の構図ばかり主張する写真が多いけれど、
宮内文子の写真は、フレームに関係なく、ひとつのものに心を注いでいる。…
見下ろしているはずの写真も、 なぜか上を見ているように感じたのは
気のせいでしょうか。
写真を知らないのに、 ちょっとナマイキでした。

No title

こんばんは、今日はまたきてしまいました。
秋亜綺羅の言葉一つ一つが思い出とともに私のこころに
うれしく響いて波打っています。
あれは、もう何年前のことだっただろうか・・過ぎた年数は記憶に
無いのだが、言われたことばだけは忘れていない。
「撮り続けていたら、いつかきっと認めてくれる人がいるから」と。この言葉が、あの人の最高の褒め言葉だったのだと、今になって気がつきました。・・・ちょっと酔ってしまったみたいです。

No title

M。bunkoさん。
いま、ひとつだけ見本にと、
写真と詩を1枚の紙上に置くために、パソコンで編集しています。
問題は、スキャニングされた写真が、文子さんの作品として認められるかどうか。
です。 ダメそうだったら、ネガから焼付ける必要が出てきます。
見本ができたら見てもらいたいと思います。

No title

ココア共和国さんこんにちは。
パソコンでの編集苦手の私には、詩を書いて頂く上に
とっても大変なことをして頂いていると言う申し訳ない思いです。ありがとうございます。今や、どんな画像もスキャナーを使って処理されている様ですね。ネガが必要な時はいつでもお送り致しますが・・・、
見せて頂くの・・・楽しみです。

秋亜綺羅

(1977.06.19)左から寺山修司、清水昶、八木忠栄、秋亜綺羅