fc2ブログ

詩人の瀬崎祐がわたしの詩 「津波」 を評してくれました。

詩ってなんだろう
08 /20 2011
 こんにちは。 秋亜綺羅です。
 詩人の瀬崎祐が、自身のブログ 「風都市」 で、季刊ココア共和国第7号の、わたしの詩 「津波」 を批評してくれています。 ので、勝手に転載しちゃいました。
 
 
 
 
 (以下転載)
 
ココア共和国 7号 (2011) 宮城  「津波」  秋亜綺羅

 この作品はタイトルで容易に判るように今回の東日本大震災をモチーフにして書かれている。 秋は自身のブログ 「ココア共和国」 で自らの被災状況をリアルタイムで発信してもいる。 それは記録である。 この 「津波」 は詩作品である。
 130行あまりの長い作品。 「昨年の夏祭りで/恋人といっしょに買った/一匹の赤い金魚」 を入れていた金魚鉢に海が近づいてきて、水平線が飛び込んできたのである。
 秋が実際に恋人といっしょに金魚を買ったのかどうか、死を思わせるような記述がなされている恋人が実際にどうなったのか、いや、実際に ”恋人” が存在しているのかどうか、それはどうでもよいことであるだろう。 これは作品なのだから。

   太陽がいっぱい

   帰りたくないのでハサミで切った世界地図の日付変更線は
   波にさらわれることなどないだろう

   太陽がいっぱい

   瞬きをすれば真似をする恋人の見つめるような瞬きは
   波にさらわれることなどないだろう

   太陽がいっぱい

   沈む一瞬好きなひとを思い浮かべた恋人のくちびるは
   波にさらわれることなどないだろう

 やや感傷的とも取れる詩行も混じってくるのだが、作品は作者を越えてうねりはじめている。それでいて、たしかに秋の詩作品になっている。
 こんなことを書くのは、当事者の方々には心ないことであるのかもしれないのだが、作品であるからには、こうして ”現実ではない時点” で詩を書いて欲しいと思う。詩は ”日記”ではないし、 ”忘備録” でもない。 それは現実に凭りかからない地点で、それ自身で立ち上がっているものべきであると思うから。 それでこそ、風化されない作品になると思うから。
 
 (以上転載終わり)
 
 
 わたしの詩の良し悪しは別として、瀬崎の詩に対する考え方は、100%そのとおりだと思います。
 
 全国の詩誌や新聞やTVなどで、震災に関する詩人の作品が多く取り上げられるけれど、被害がどうだとか、何100人死んだとか、とにかくがんばろうとか…。 戦時中の詩もこうだったんだろうな。 と考えてしまいます。 夕焼けがきれいだからといって、「真っ赤な夕焼け」 と書いても詩じゃないことくらい、小学生だって知っていますよね。
 
 詩人たち本人は本気で書いているわけだから、いいとして…。 マスコミのひとたちはどうして簡単に、詩として取りあげちゃうのだろう? 自分たちが被災地に対峙して書いた取材メモ以下のことばたちを、ほんとにこれでいいの? と疑わないで詩として掲載しちゃうことも、まるで戦時のようですね。 これだったら、新聞記事たちのほうが、ずっと詩ですよ。 それを朗読する女優だって、ほんとにこれ、読むわけ? と疑っていたんじゃないかな? 新聞記事を読みつづけたほうがずっと、感動的ですから、ね。
 
 ただ、だけど。 わたしの 「津波」 というような詩にも、危険があります。
 「ものと生命」、「ことと死」 をとりあげたいために、デフォルメしています。
 地震も、放射能もあえて書いていません。 今回、ひとの命を奪った 「津波」 だけを書いています。 実際なら金魚鉢は、地震で落ちるか、すくなくとも水のほとんどがなくなっているはずです。 それにもふれず、平穏な金魚鉢に海が近づいてくる。…というところから、詩ははじまります。
 
 金魚と恋人は、津波で死に、「わたし」 だけが生き残ります。 その三者の物語です。 田んぼまで流れてきた船や、自動車や、家や、倒木のことなどは、わたしの貧困な想像力でぜんぶ引き算して、そこに浮かんできた物語です。 「命」 だけを扱いたかったのです。 がれきにも 「命」 を与えてしゃべらせています。
 
 この手の詩は、ほんとうの被害者には腹が立つものです。
 
 いままでだれにも話していないことですが、わたしが学生のころ、詩を書く女の子と同棲していて、アパートの屋上から飛び降り自殺されたことがあります。 運よく未遂でした。 毎日病院に看護に行くわたしを、友人が慰めようと、当時流行っていた中島みゆきの 「時代」 という歌をなんども聞かせようとするのでした。
 
  まわるまわるよ 時代はまわる
  別れと出会いをくり返し  
  今日は倒れた旅人たちも
  生まれ変わって歩きだすよ
 
 この歌って、ほんとの悲しみを経験したことがないヤツが書いているよな。 と。…腹が立つばかりでした。
 
 いま、わたしもそう思われるのを覚悟しながら、「津波」 を書きました。
 わたしの身勝手だけれど、これを書かないと、次の詩が書けないと思ったのです。
 
 詩は、朗読してはじめて詩になる、とわたしは思っています。
 10月8日に青森で、伊藤文恵の舞踏といっしょにこの詩を、やらせてもらうことになりました。 近くまた、このブログでご案内しようと思っています。
 
 
 
 
      ツイッター! フォローし合いませんか? →秋亜綺羅   
 
   
関連記事

コメント

非公開コメント

No title

その時は、「何言っているのよ!」と腹立たしい気持ちに
なったりしことでも、理解出来る時、場、って必ずくるものです。
・・長く生きてきての、感想ですけどね。(笑)

そのとき、秋さんが腹立たしく思ったと言う中島みゆきの「時代」
を、私が聞いて、たくさん涙を流して・・・救われたのは、
多分・・昨年ごろでした。
兄が自殺して10数年経つと言うのに、毎年命日が近くなると
決まって体調を崩します。そんなある日、知り合いの方の
(その時はまだお会いしたこと無かったのですが)
ブログで、その歌を聴いたんです。
聞いているうち、自然に涙があふれ・・たくさんないて、
・・気持ちがとても楽になった時のことを思い出しました。

あの歌も、いろんな経験をして来たからこそ、生まれた歌詞、
こころの葛藤を歌ったように感じています・・・。

No title

みさかるたさん。
そうですね。 感情が 「命」 にしかないとすれば、
流されてしまった職場や、家や、車、お金。…
使い物にならなくなった漁場や、田畑や、宅地。…
それらをぜんぶ取り除いていったら、なにが残るだろう?
死んだ 「命」 と生きてる 「命」 が、そこで、
出会えるような、気がしたのです。

No title

M。bunkoさん。
そうですよね。
わたしだって、長く生きていますよ。
M。bunkoさんにはかないませんけど、ね。 ふふふ。
中島みゆきの 「時代」 は当時から、現代詩壇でも評価されていましたよ。

わたしはでも、理解されなくていいや。
そこは大衆小説家やタレントとちがって、
根暗なひねくれ老人ですから。 へへへ。

No title

じつは。
ぽちも詩人です。

詩心にあふれ、そのくせ詩を書くことの
出来ない詩人です。

No title

というか。
ツイッター昨日からやりはじめたので
フォローさせてもらいました。
詩集も買わせていただきますよ。

No title

>詩は、朗読してはじめて詩になる、とわたしは思っています。

10月8日青森まで確かめに行きます、ね。
私自身の感を確かめに。(笑)

No title

McBerryあらためraccoです。
ココア共和国Vol.7 ありがとうございました。
詩を書く女の子のこと、衝撃の告白聞いてしまいました!
昔のこと、もっと聞かせてくださいな。

No title

raccooさんって、もしかして、まことさんですよ、ね。
秋さんとご一緒に、四谷のROONEEまで写真展みに来て下さった。
その節は、どうも・・。(そうよ、ね?)

>昔のこと、もっと聞かせてくださいな。
って、可哀想・・。
・・でも、たのしろそう、聞きたい。(笑)

青森、ご一緒しませんか?
お話、聞けるかもですよ、うふふ

raccoさん=まことさんじゃなかったら、ごめんなさい、ね。

No title

はあい!bunkoさん!
ほんとにご一緒できますか?
ぜひ!

No title

名犬ぽちさん。
おかえんなさい! しばらくぶりでっす。
ツイッター、ホローしましたよ。
ツイッターって、あんまり便利さがわからないです。
あと、フェイスブックも使い方がよくわかりません。
パソコンのメールと、ブログで充分かな。と。…

No title

M。bunkoさん。
活字の詩は音楽でいえば、楽譜ですよね。
演奏してはじめて音楽になれるわけです。
でも、「朗読」 といっても、楽器は詩人の喉だけとは限りません。
舞踏家の肉体表現も、詩であるし、
詩も、舞踏の一部になってしまいたい。
とかなんとか。… うまくいけばいいですけれど、ね!

No title

raccoさん。
しっかし、 raccoさんって感じかな?!…

「衝撃の告白」 っていっても、35年以上まえのことです。
詩の世界に夢見る、男のコと、女のコの物語でした。

それにしても、ここって 「掲示板」 でも 「伝言版」 でもないんですけどぉ。
けどぉ、青森で会えたらいいですね。
遠いですぜ。

No title

ココア共和国さん こんにちは。
秋さんの詩「津波」を、舞踏として、どんな表現をなさるのか、
とても、楽しみです。=それらが一つになって「詩の朗読」
・・・なんか、古い様で、新しい様で・・
とても新鮮な感じもしたり、不思議な気持ち(笑)

あっ、本当にごめんなさいね、
つい、伝言板がわりにしちって・・・・。
ついでに・・今日も伝言版に使わせて頂きますね(笑)

raccoさん
ご一緒、大歓迎・・よろしく、ね。
詳しくは、メールにて!

No title

コメントありがとうございます。私も秋さんのブログ読みます。

No title

M。bunkoさん。
話がまえのコメントに戻りますが、
中島みゆきの 「時代」 のことですけれど、
わたしは中島みゆきを否定したのじゃなくて、
「命」 と闘っているまっ最中のひとには、
受けつけられる文学(音楽)などないだろう。 ということです。
血を流しながら運ばれる救急車のなかで
「人生論」 や 「幸福論」 を聞くようなものです。
それをわかっていても、書いてしまう。
文学のさがみたいなもの。 を言いたかったのです。

No title

miyabiさん。
「詩想」 もしばらく出ていなかったので、
発表の場がなくて困っているかな?
などと、ちょと心配していました。
ブログでの詩、期待していますよん。

No title

こんばんわ~初めまして、履歴からお邪魔しました♪

「詩ってなんだろう」難しいですね・・・。

私のは心のグチかなって思ってます(笑)

No title

ココア共和国さんこんばんは。
わかってます!

No title

tomo♪さん。
おはやうございます。
そうですね。「心のグチ」 というのはいいことばですね。
幼児にクレヨンや鉛筆を持たせたときに無心に描く 「落書き」 が
絵になったり、詩になったりするわけですから。…
それを、おとなが喜ぶような指導をするために、考えてしまう。
わたしは書くときいつも、「落書き」 であることを
心がけています。

No title

M。bunkoさん。
ほい。

秋亜綺羅

(1977.06.19)左から寺山修司、清水昶、八木忠栄、秋亜綺羅