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野沢啓さんからの回答文です。

公開質問+
01 /29 2023
「秋亜綺羅『公開質問』への回答文」

 さて、この気の乗らない原稿にとりかからねばならない。というのは、秋亜綺羅が自分のブログページでわたしへの長ったらしい「公開質問」というのを書いて、わたしの書いた文章への無知まるだしで誤解と勘違いのオンパレードのあげく、まるで文章になっていない誹謗と中傷の駄文を書いて挑発してきているからである。
 このひとはいったいどういう資格でこんなつまらない文章を書いてひとに訴えようとしているのか。
 いちおう「公開」と名づけられている以上、最小限の回答だけでもしておいてあげないと、ますます勘違いして鼻高々になられても迷惑だから、回答しておくというにすぎない。しかし、ひとと対話を求めるなら、没論理で矛盾だらけの文章でない、もうすこしまともな文章を書いてくるのが礼儀だろう。二度も読み返す気にはなれない。(なお、この文章は秋亜綺羅のブログで公表したいらしいが、ちゃんと扱う保証はないので、みずからのブログページに掲載する予定であることをあらかじめ言っておく。)
 ことの起こりはこうである。昨年(二〇二二年)夏号の『季刊 未来』にわたしは「八重洋一郎の詩に〈沖縄〉の現在を読む――言語隠喩論のフィールドワーク」という文章を発表し、八重洋一郎の詩がもっている重要性とその意味づけをおこなったうえで、二〇一八年の日本現代詩人会主宰の現代詩人賞の第一次選考委員会でわたしが推薦して受賞候補にくわえた八重洋一郎詩集『日毒』にたいして、当時の新藤凉子会長が、最終決定をするはずの第二次選考委員会か始まるまえに、そのときのH氏賞選考委員とわれわれの現代詩人賞選考委員が両方とも集まり、ほかに理事会の関係者も数人いるまえで、あろうことか、この『日毒』は受賞してはならない、と発言したことに言及した。こんな無法なやりかたはないだろうと思ったわたしはすぐにその理由を糺したのは言うまでもない。すると新藤会長はそれは「ある筋」からの意向だと言うので、さらにわたしがその「ある筋」とは誰のことかと追及したところ、名前こそ出さなかったものの「この詩集の賞金を出す基金を預かっている者だ」と返事したのである。わたしはむかしから新藤凉子とは馴染みもあるからよく知っているが、こうした大らかさというかスキの多い、アーレント的な意味でのフリッパントな性格が出ていておもしろいのだが、はからずもこの一件について誰が係わっているかを問われるがままに白状してしまったのである。そして言うまでもなくこの人物は桃谷容子基金ほかの公益信託基金の形式的な代表とされている郷原宏氏のことではない。その裏で実権を握っている者のことだ。
 そう言えば、この人物は、数年前に沖縄で現代詩ゼミナールが開催されることになったとき、講師に八重洋一郎が呼ばれたことにたいし、理事会でその担当者をものすごい剣幕で怒鳴りつけたそうである。これは理事会の何人ものひとから聞いている。こうした誰でも知っている事実も「伝聞」ということでこのひとたちはすべて推測、憶測、ということばを並べて形式的に処理しようとするからだめなのだ。
 さて、会長挨拶のあとの選考委員会ではこうした妨害工作をはねのけて、内容には不満はあるものの形式的にはきちんとした選考がおこなわれたことは言うまでもない。この選考委員会では会長発言など問題にしなかった。委員長のわたしに責任がある、という秋発言はお門違いもはなはだしい。秋によれば《野沢さんが偶然に選考委員長になったことをいいことに》わたしが『日毒』について《長々と力説する独壇場》となり、《委員長はどちらかと言えば、議長役であるべきで、そんなに自説を述べる必要があるのか》といった卑屈な論理を出している。わたしはこれまで二度H氏賞の選考委員を指名されたことがあるが、今回と同じく、いずれも選考委員の互選で心ならずも選考委員長をやるハメになった。たんなる議長役などとして引き受けたわけではない。秋は偶然性を主張するが、そんなことはない。あくまでも互選であって、このときちがうひとを選んだのは塚本敏雄と黒岩隆の『歴程』メンバーだけであって、どういうわけか同じメンバーの高岡修はわたしを選んでいる。こんなことを言うのは、わたしは委員長であろうがなかろうが、議長役、進行役などといった不似合いな役割を強制されることはなく、自説をきちんと言っただけだということである。このあたりからして秋亜綺羅はなにもわかっていない。
 そんなことよりも秋亜綺羅と中本道代(当時の詩集賞担当理事)が言いたいのは、そもそも新藤会長発言はわたしの勘違いか思い込みか、さらには悪意に充ちた中傷だ、というまったくとんでもないデマだ。かれらはその証拠に自分たちふたりもすぐ横にいたのに聞いていないし、現代詩人賞選考委員にも確認したところ、誰も記憶がないことを論拠としている。もう五年のまえのことだし、さらには選考会が始まるまえの儀礼的な会長挨拶だろうと考えてちゃんと聞いていないか、聞いたとしても『日毒』のことをほとんど知らないひとたちだったら最初から関心外にあり、むしろこれから始まる選考会のことで頭が一杯になっていただろうことは容易に想像ができる。わたしは自分が推薦した詩集を選考以前にむげに斥けようとするこの発言は何なのだと思ったからで、それも二度質問を繰り返してさきほどのような裏事情を引き出したから間違いなく覚えているのだ。それをほかに誰もいなくて自分だけが主張してもそれは通らないでしょう、とは中本の発言でそこに裁判になったらというニュアンスを付け加えるのを忘れていない。そこでわたしにははっきりわかってしまったのだが、今回の「公開質問」のほんとうの仕掛け人はほかにいて、このふたりはその言いなりなっているのだ、ということである。この裏の人物は『歴程』の次号にわたしへの反論を書いたとのことだが、そうしてみると、この「公開質問」のしかたとすべては符節が合うように動いていることがわかる。秋亜綺羅と中本道代は自分たちがそんな大事なことを聞き逃すはずがないと言うが、この問題の重要性はわたしの文章によって初めて明らかにされたのであって、かれらに事の重大性を察知する理解力と判断力があるとはとうてい思えないのだ。ましてやこんな唐突な会長発言に対応できる思想的瞬発力などもないだろう。かれらのこれまで書いてきたものを見てもそうした能力を期待させるようなものは見たことがない。わたしの本や雑誌も最初は送っていたが、なんの反応もないし、おそらく読んでもいないか、読んでもわからないだろうから送るのをやめてしまった。もっとも中本にはむかしの誼みで送っていたが、こういうかたちで仕返しをしてくるとは思わなかった。
 そもそもかれらが気がつかないか、そのふりをしているのは、わたしにはウソを言う理由がないということである。新藤凉子の熱海の別荘にみんなで招かれて楽しく過ごしたこともあるし、歴程にだって三回も誘われたこともあるぐらいの良好な関係だからなんの問題もなく、その時宜にふさわしくない会長としての発言だからこそ問題にしたのである。実際、秋亜綺羅が選考委員の選定について無防備にも書いているところによると、わたしを選んだのは新藤凉子自身だというではないか。わたしも第一次選考会のときに会長に「いったい誰がわたしなんかを選んだのでしょうね」と聞いたところ、即座に「わたしよ!」と力を入れて返事をしたぐらいなのである。中本も不思議だと言ったように、なぜその不思議=ウソをつく必然性のないこと、に考えが及ばないのだろう。悪意など最初から微塵もないのである。そう言えば、この裏の人物はわたしが歴程のメンバーである、とかそれこそウソをまき散らしている。さきに言ったように、わたしは新藤凉子の誘いを三回とも断っている。これは若いときにあるひとから「君、歴程なんかに入っちゃだめだよ」と何度も念押しされていたからである。
 いずれにしても、かれらの論拠はいずれ崩れることになるし、そうなれば「公開質問」なるものの無意味さがはっきりし、ここでのわたしにたいする一方的な悪罵とバカげた理屈はみな消失することになるだろう。だから秋がわざわざ列記した間違いだらけの幼稚な質問項目にさしあたっては包括的に応えることで十分すぎるほどである。
 それからいちいち挙げていたらきりがないが、わたしはこの文章とその後の『イリプスIIIrd』1号の「言語隠喩論のたたかい――時評的に1」でいちども〈不正〉ということばを使っていない。ひとの文章もろくに読まずに、あるいは読んでもわからずに、わたしが使っていないことばを自分のほうが何度も使っているのは、あなたたちお得意の思い込みなのか、もしかすると新藤会長発言の〈不正〉をじつは了解していることの無意識の現われなのだろう。パスカルに《感情は理智の知らない真理を知っている》ということばがあるが、ふたりの感情はそんなふうに逆説的に動いてしまったのだろう。フロイトだったらこの間違いの真相をもっと鋭く深く切開してみせる。言い間違いはたんなる間違いでなく、自分の心の内情を暴露してしまうものだ、とね。
 それからもうひとつだけ事実を明らかにしておこう。新藤凉子会長が歴程の会でつねづね日本現代詩人会の会長は歴程から出さなければならないと言っていたことはたしかに伝聞ではあるが、歴程の複数のひとから聞いていることであり、会長+理事長人事の現実もここ数年は歴程メンバーで構成されている事実がある以上、秋が知らないふりをするのはどうみてもおかしい。
 このことは現に詩集賞に端的に現われている。数ある詩人賞のなかでも比較的歴史が短いか財政基盤の弱そうなところは選考委員がほとんど歴程メンバーで占められているというレッキとした事実はどう説明するのか。
・丸山薫賞(豊橋市)の選考委員――以倉絋平、新藤凉子、高橋順子、八木幹夫、高階杞一(前の四人は歴程同人、ただし八木はその後に歴程を退会している)
・山之口貘賞(沖縄県)の選考委員――以倉絋平(委員長)、高橋順子、市原千佳子(すべて歴程同人)
・三好達治賞(大阪市)の選考委員――以倉絋平(二〇一六年から委員長)、高橋順子、池井昌樹、岩阪恵子(前の三人は歴程同人、ただし池井はその後に歴程を退会している。この賞は二〇一九年で終了したので、名前はその時点のもの)
・このほかに伊東静雄賞(諫早市)や小野十三郎賞(大阪文学学校)にも資金を提供している。
 萩原朔太郎賞や中原中也賞など大きな賞にはさすがに入りこめていない。こうした選考委員の顔ぶれをみると、どう考えても歴程グループによる偏向した選考が見えてこざるをえない。詩人としてそこまでの実力も評価もない人間がこうまで小さな権力にしがみつくのは詩人として情けないことではないだろうか。こういうことを書くとわたしがそんなことにかまけている人間に見られかねないので、このさいはっきり言っておくが、こういう人事にはいっさい興味がないことも言っておかなければならない。秋亜綺羅が最初のほうで《中本道代から電話をもらったわたしは噂ではすこしく聞いていたので「詩論の戦いならばともかく、賞がどうのという、詩と直接関係ないレベルの話でしょ。どうでもいいんじゃない?」と答えた》と言っている。その舌の根もかわかぬうちにこのような「公開質問」など仕掛けてくるのもやはり誰かの差し金だろうか。
 さらにもうひとつ。このときの選考委員の選考は新藤凉子会長が当時の理事長であった秋亜綺羅に「秋さんが決めなさいよ」と言った、と秋はわざわざ書いている。こんな大事なはずの選考委員の決定が会長と理事長のあいだで独断的に決めてもかまわないと思ってしまうのも歴程的だ。こう言っては悪いけれど、秋亜綺羅などはそれまでの詩人としての実績からすれば何者でもなく、あくまでも新藤凉子の引きで理事長の座に収まっているだけではないのか。そんな人間が公平な人事をひとりの判断でおこなえるはずがない。この体質こそ新藤凉子流の独占的引き回しの構図そのものである。渦中にいる人間にそのことが見えないということが今回の「公開質問」のレベルの低さをよく示しているのではないか。
 ほかにもいろいろ言うべきことが山ほどあるが、わたしもそんな時間つぶしをするほどヒマ人ではないので、お勉強はご自分でどうぞ。(2023/1/26, 27) 
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秋亜綺羅

(1977.06.19)左から寺山修司、清水昶、八木忠栄、秋亜綺羅