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谷内修三による秋亜綺羅評

詩ってなんだろう
05 /05 2010
 
 こんにちは。秋亜綺羅です。
 日本の詩壇の最前線にいる谷内修三がブログに、季刊「ココア共和国」に掲載されている秋亜綺羅の詩を評しています。
 きょうはそれをすこし紹介したいのです。
 というのは、プロの詩人といわれる専門家が、詩と言語にこんなにも激烈に対峙して批評するものなのだ。そして批評とは作者を評価するのが目的じゃない。刃物より鋭いことばで対象を解剖し分析する。それは、自分自身の作品の次の一行のための闘いでもある。ということを感じ取ってほしいな、と思ったのでした。
 
 というのも、ブログで詩を書いているひとはたくさんいます。
 詩、なんて楽しいと思えばそれでいいじゃない。
 詩、なんて行を換えて日記を書けばいいんだよ。
 詩、なんて落書き帳でしょ。
 
 そう。ぜんぶ、そのとおりなんです。
 だけれど、わたしがお邪魔してきたたくさんのブログの詩人のなかには、もっといい詩を書きたい。とか、詩が書けなくて悩んでいる。とか、どうすればプロの詩人になれるだろう。とか、と思いはじめているひとも少なくないようです。
 コーヒーだって、おいしきゃいいんだけれど、ほんとうのコーヒーを知ってしまうと、世界で一番のコーヒーを探してさまようことになる。…というわけでしょうか。
 
 そんな、詩の世界に半分踏み込もうとしている方たちに、ちょっと読んでもらいたいなと思ったのです。
 
 以下は、引用(部分)です。
 
 
 
 
詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)
 
秋亜綺羅「ドリーム・オン」
 
 「シッポがないのでシッポを切る」。これは現実には不可能である。「ない」ものは「切れない」。けれど、ことばでなら、想像力でなら「切る」ことができる。
 「シッポがないのでシッポを切る」は、正確()には、あるいは「流通言語」的には、
あなたにはシッポがないので、想像でシッポがあると仮定して、それからその想像のシッポを切る。そうすると、「いま」のあなたそのものになる。
ということかもしれない。(まったく違うかもしれない。)
 そして、そう考えたとき、では「シッポ」のあった「あなた」とは何? そのシッポであなたは何をしただろう。何ができただろう。いや、あなたではなく「シッポ」そのものも、あなたを超えて何かができたかもしれない。
 そんなことが、ふと、思い浮かぶ。
 秋亜綺羅は、そういうことは、くだくだと書いていないのだが、私はそういうことを感じてしまう。思い浮かべてしまう。つまり、「誤読」してしまう。
 
 
 
秋亜綺羅「あやつり人形」
 
完璧な暗闇で目をつむると
水溶性の映画がやってくる
世界でいちばん明るい場所がそこにある
 
 「完璧な暗闇で目をつむる」。なんのために? ふつう、目をつむると何も見えない。暗闇となんのかわりもない。それでも目をつむる。なんのために? 「見る」という行為を自ら放棄して、「現実」を見ないためである。完璧な暗闇では、目を開けていたら「見えない」という状態があるのであって、それは「見る」の否定形「見ない」ではない。
 「見る」「見えない」「見ない」。その「見えない」と「見ない」とはまったく違ったことなのである。「見えない」は受動的な態度である。けれど「見ない」は能動的な態度である。
 秋亜綺羅のことばは、何かを受け入れる形で動くのではなく、自分の意思で動いていくのである。「いま」を受け入れるのではなく、「いま」を拒絶していくのである。そのために、ことばを動かす。それは別なことばでいえば「いま」を逃走する、ということかもしれない。逃走するためには、どうしたってスピードと軽さが必要である。秋亜綺羅のことばが軽いのは必然なのだ。
 
 
 
秋亜綺羅「四匹の黒犬が黙る」
 
 秋亜綺羅のことばは「書きことば」だから、どんどん飛躍する。暴走する。そこには漢字だけではなく、カタカナもまぎれこむ。
 
  ただし、自分の手相を忘れて相手の手相しか視なくなったタロちゃんと
  いう名まえの友だちは、オナニストでしかない。ぼくの初恋のすずめち
  ゃんチロちゃんは舌を切られて死んだ。きみには、自白する自由があ
  る。千口ちゃん。

 ここには何が書かれているか。「意味」は何も書かれていない。ただ、「書きことば」は「文字」をかりながら、「文字」があることによってはじめて可能な運動をすることができるという、その可能性だけが書かれている。
 その可能性を書いているだけなのである。そして、その可能性を明るみに出すことだけが、詩の仕事なのである。
 「意味」なんていらない。ことばは、「意味」を捨てて、動いていける。「意味」という「書物」を捨てて、「意味」という「故郷」をすてて、「意味」と「故郷」が持たなかったものをつかみ取りながら、むさぼり食いながら、ことばの「街」を肉体化する──それが秋亜綺羅が寺山修司から引き継いだものだ。
 
 
 以上、引用終わり。
 
 
    
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コメント

非公開コメント

No title

u-mそう難しく考えないといけないのかな???
自分が感じた言葉で表現すればいいと思うけど・・
僕は自ら言葉で縛るって辛いな!ごめんなさい生意気言って
初めましての挨拶も忘れるほど複雑な気持ちになりました。
ご訪問ありがとうございました。

No title

いえ。難しく考えることなどどこにもないと、わたしも思います。
自分が本気で書けば書くほど、
ほんとうに書きたいことを書くにはどうしよう。
って手さぐりする。
それが他人からみると難しかったりするのだと思います。
プロの詩人たちだって、面白いから詩を書くのだろうし。
秋亜綺羅

No title

ココア共和国さん、こんばんは。

言葉ですか。その人の世界観の言葉ってありますよね。

でも言葉って表現するの難しいです。

1つの絵画は無数の言葉を表現してると思います。

詩は感じたままを表現すれば、それが詩だと思います。


ある、おばーちゃんが、いつも明るく生きてる

辛いことも、楽しく話す。

なぜそんなに前向きなの??

「だって後ろ向きは歩きずらいよ」

うぅぅぅぅ、すごいと思いました。これがまさに詩かな??

No title

えいたろ~~~^^さん。こんばんは。
おばーちゃんのことばは、ほんとに詩だな、と思います。
わたしは、詩は、ことばがある以前からあると考えています。
たとえば生まれたばかりの赤ちゃんはことばを持たないので、「おっぱいちょうだい」と母親にいえません。
だけど赤ちゃんと母親のあいだには、ことばなんていらない。詩があると思うんです。

No title

難しいですね~・・・・・・・。
アホな私が理解するのは何時の事かwww

No title

簡単で難しいのが詩なのだと思います。
僕は、書き始めが歌の歌詞だったもので、最初はリズムにはめこむ事にこだわりすぎて、無意味な言葉を連ねる結果もしばしば……。

No title

hananaさん。ありがとうございます。
たとえば釣り堀で魚釣りを楽しむひとにとって、漁師の仕事はむずかしいものかもしれません。なにより釣りは楽しければいいのであって、漁師になんかなる必要もない。
問題は、漁師になってしまったひとの、悲しみや苦しみです。だけどその苦悩が、だれにも味わえないだろう感動と満足感を生む…それを知ってしまうと、漁師はもうやめられない。というわけです。

No title

愛ノ圭(よしのきよ)さん。こんばんは。
愛ノ圭(よしのきよ)さんの詩も、むずかしいというひとがたくさんいると思いますよ。
TVのおわらい番組などですぐ笑えるものもいいのだけれど。こころの深いところでニヤリとする。そんなオーダーメードのおわらい番組は他人が作ってくれません。だから自分で作る、のさ。

No title

ココア共和国さんはじめまして。ご訪問ありがとうございます。
私は油絵絵を描いていますが、ココアさんのお考えには同感します。

ココアさんの文章を引用して詩を絵に置き換えると



絵、なんて楽しいと思えばそれでいいじゃない。
絵、なんて絵の具で日記を書けばいいんだよ。
絵、なんて落書きでしょ。


こんな感じでしょうか?

でも真剣に悩んで、表現を模索している人の絵は人を“納得”させます。

ああそうだね!
と。

私も、そんな絵を描きたいと思っています。(文章を書くのはにがてです(^-^; 、絵を描くのはもっと苦手かもしれません(^-^; )

No title

詩、なんて楽しいと思えばそれでいいじゃない。

あ、私は、それ以外のことを考えたことも感じたこともないのだけれど。
私の書いているのは、ほんとうに落書きです。

下書きなし、読み返しなし。
一気に、思いついたまま、書けるところまで書いたらおしまい。

No title

aiko さん。ありがとうございます。
そうですよね。わたしは思うのだけど…。さっきまでの自分にできなかったことをやろうとすると、どうしても下手なものになります。だけど繰り返すうちに上手になる。わたしはそれが嫌いで、次の下手なものを追いかける…。そんなことを繰り返していると、だれにもまねできないくらい下手なものが出来上がっている。それが他人には、難しいことに思えてしまうらしい。
aiko さんのように絵が苦手、といえるひとこそ、絵を楽しめるひとなのかもしれません、ね。

No title

谷内修三さん。
歌まね合戦でうたっていたら、後ろから本物が…。登場!!ってとこです。
問題は、谷内修三さんの落書きはなぜ難しいのか。ということではないでしょか。なぜだろう。なぜかしら。
どうせだから、もう一度ご解説を!

No title

たとえば、誰かを好きになる。
どこが好き?
まつ毛が。
どんなまつ毛?
長くてカールしているまつ毛。
そんなの、何人もいるよ。
長くてカールしているまつ毛。そのうえで光の天使が踊っている。
朝は、桃色の、果物のにおいのする光をやさしくカーブさせて。
夜は、流れ星の、るるるるる、という音楽に合わせて。

特別な人のために、どんどんことばを増やしていく。
増やすほど、そのまつ毛が特別になる。
世界でたったひとつのものになる。
その瞬間が、詩。

そう思って、ただひたすらことばを動かしてゆく。

何が好き?
なぜ好き?
どんなふうに好き?
恋している人にはわかってもらいたいから、何度でもいう。

難しくはないよ。
好きという気持ちがあるかどうかだけ。

No title

谷内修三さん、あのね。(先生、あのね。みたいに)

>そのうえで光の天使が踊っている。
>朝は、桃色の、果物のにおいのする光をやさしくカーブさせて。
>夜は、流れ星の、るるるるる、という音楽に合わせて。

と一瞬に書ければみんな詩人やってると思う。
谷内さんは天才だ。だけで済ませたくはない気分が、あります。

秋亜綺羅

(1977.06.19)左から寺山修司、清水昶、八木忠栄、秋亜綺羅